東京ありがた記

東京ありがた記

Arigataki is written in Tokyo.

『サピエンス全史』

『サピエンス全史』を読んだ(ことにした)私の場合、“虚構“という概念に興味を持ちました。

そんな新しい視点を持つと物事の見方が変わってきます。

その頃私は『山椒大夫』という日本の古典映画を観ていたのですが、サピエンスの虚構とはこういうことなのかもしれないと思わせる世界がありましたので紹介します。

山椒大夫』〈1954〉

溝口健二監督

物語の舞台は平安時代末の日本。

平家が支配していた時代です。

経済も政治も宗教でさえすべての秩序は平家によって統制されていました。

つまり平家による壮大な虚構の上に築かれた社会です。

貴族たちは各地に荘園という私有地を持ちそこからの年貢を収入源としていました。

貴族から荘園の管理を任されているのが山椒大夫という極悪人です。

虚構というフィクションははたとえそれが善でも悪でも見知らぬ人々を団結させてしまうチカラがあります。

山椒大夫はその力を利用して荘園を支配しているのでした。

世の中をどう見ていますか?

物語はやがて厨子王という主人公によって予想外な結末をもって終わるのですが、新しく得た視点はそれからも待ち続けています。

そして最近こんなことを思うのです。

私たちが毎日生活している世の中ってやつは、いつかどこかのサピエンスが作った虚構でいっぱいだなあと。

見分けがつかないようにずっとカモフラージュされたままここまできたけど、そろそろバレだしてきている。

そんなフィクションに心当たりはありませんか?

〈おわり〉

 

 

小津映画から学ぶこれからの在宅時間の過ごし方3選

小津安二郎監督の作品に『お早よう』というちょっと変な映画があります。これまで何度も鑑賞しているこの作品ですが、2020年の在宅の中で見返してみると意外な気づきがありましたのでご紹介します。

 

『お早よう』は1950年代の映画です。どこかの郊外にできた新興住宅地で暮らす人たちの窮屈なコミュニティを描いています。奥さま方の神経戦と昭和キッズの謎の遊びを軸に物語が展開していきます。

仕事は「信頼貯金」で回っている 
 リモートワークでの業務は各自がこれまでに積み上げてきた個人の信頼性を使って行うことに気づかないといけない。これを「信頼関係の貯金」と呼ぶ。どういうことか?

 例えばアナタが誰かに業務上での協力を求めたとする。その時相手がまず思うのは協力内容ではなくアナタに対しての印象だ。好印象であれば気持ちよく引き受けてくれるだろう。だが悪印象を持たれていたのであれば断られる可能性が高くなる。

 つまり相手はアナタの信頼性を元に対応を選ぶということだ。その際どちらにしろアナタの「信頼貯金」は引き出されてしまうが、信頼の有無によって残高の減り具合が全然違うことは言うまでもないだろう。

┃雑談はコミュニケーション
 信頼貯金の形成に必要なのは実は「雑談」だ。日頃から雑談というかたちでコミュニケーションを取っておくことで、信頼貯金が少しずつ増えていくのだ。

 雑談によって仕事をする仲間の今の状況、価値観や働き方を自然と理解していくことができる。そうすると自然と助けを求めやすくなるし、「あの人に相談してみよう!」といった連携のきっかけにもなる。

例えば、アナログのチカラを見直すきっかけを得たことだ。私たちの世界はデジタル機器によってめちゃくちゃ便利になっている。ところが最近の私たちの生活の中でマスク、手洗いといったアナログの重要度が増している。

 

そしてあいさつの大切さも忘れてはいけない。とはいえ映画で子供たちが言っていたように実はあいさつなんてムダなものなのかもしれない。実際母親たちの雑談を年柄年中見聞きしていたら子供がそう思うのも不思議じゃない。

 それでもあいさつはムダではないと思う。コミュニケーションの始まりはいつもあいさつからだからだ。 しかしどんどん忙しくなっていった私たちは長い間あいさつの価値を顧みることがなくなっていた。その代わり何か別のの物に価値を見出そうと躍起になっていやしなかったただろうか。

 あいさつがないからコミュニケーションが始まらない。お互いのことがよく理解できない。今そんなディスコミュニケーションの影響が社会に出ててきているのではないだろうか。

 

┃アナログ回帰で得る豊かさがある。

 アナログにはデジタルにない魅了がある。『お早よう』は1950年代末の物語で洗濯機やテレビがトレンドの先端だった。もちろんデジタルとは程遠い昭和レトロなアナログ機械だ。炊飯器も機械化されていたが、炊いたごはんを入れるのはおひつだった。

映画はおひつがまるで何かのアイコンの様に配置されたり出演者が持ち歩く。 おひつからご飯をよそって食べるシーンを見ると、私はそのおひつのフタを開けたときの蒸気と薫りを感じることができる。そのご飯の味を味わうこともできる。なぜなら私もおひつを愛好し毎日おひつごはんを食べているからだ。

木曽さわらでできたおひつでまわりは銅のタガでしまっている。映画のおひつと偶然同じものだ。ご飯からはさわらの木の薫りが漂い味わいはしっとりとしていてほのかに甘い。食事の楽しみはこれだけでも毎日増えるのだ。


ある朝の風景。画面右下のおひつはきっと5合。

┃井ステイホーム、井ステイシンキング

映画の終盤で初老男性の定年にまつわるエピソードがある。それまでご婦人方の社交や子供たちの珍騒動だった物語がふと立ち止まったような瞬間だ。笠智衆の家に定年退職した近所の男が訪ねてきた。再就職をしたとのことだった。男が帰ると傍にいた妻が呟く。

──うちも、そろそろ考えとかないとねぇ。

──ん〜、、、。

笠智衆は沈黙する。

 2020年は多くの人が一旦立ち止まった。その分時間が増えた。その時間を何に使うかは人それぞれだ。これは定年退職後の疑似体験と言えないだろうか。そしてとても貴重な体験だ。だって少し先にあった定年後の世界をだいぶ遡った今に経験できるなんてちょっとない。だから時間をかけてよく考えた方がいい。ヒマだなんていってると“本番“でもきっとヒマになるだろう。今でも色んな情報に影響を受けて動揺しているのだから将来もきっと同じく動揺するに違いない。

 まずは心の持ちようだ。心を整えなければならない。どんなに時代を経ても価値の変わらないものに触れるといいと思う。 だから私は小津安二郎の映画をおすすめする。《おわり》

あわせて読みたい

〈小津安二郎『秋日和』レビュー〉

小津安二郎の映画を観るの

私の場合小津映画を観ようと思った動機は昭和の女優

 

映画の出だしは
1950年代末の物語。竣工間もないの東京タワーは最新スポット。

秋日和】は東京で都市生活を送る人々たちの物語です。

特に女性たちが清く正しく美しく描かれています。

カラー映画なのでその彩りがなおの他際立ちます。

ここで主な出演俳優の生年月日を確認してみましょう。

映画の公開は1960年です。

とすると当時の出演者たちの実年齢は次のとおりになります。

若い女優たちが多いですね。

この映画では年頃の若者とちの結婚を仕切りたがるおぞさんたちと、自由闊達なカルチャーを楽しんでいる若者たちのエピソードが中心です。

映画の中の若者たちとおじさんたちの関係値は極めて良好に映ります。

当時の世代間のコミュニケーションが、結婚という共通のイベントを通じて行われていたおかげかもしれません。

さて、ここでもう一度出演俳優の年齢を確認してみる。しかし今度は2020年現在。(故人の場合は現在まで生きていたとして)

映画公開当時20代だった女優たちは現在80代となっている。


会社の屋上で手を振る元祖丸の内OLの2人。岡田茉莉子(左)と司葉子(右)

小津映画最後のヒロイン岩下志麻(手前)の登場シーンはほんのわずか。奥には40代の原節子が凛と立つ。

最近とある動画で、岡田茉莉子、高崎葉子、岩下志麻の直近の姿を拝見することができた。

映画の中で輝きを放っていた女優たちは今でもスターの品格を漂わせていたのは流石だった。

いつの時代も若者は個性的であり、老人になるにつれて没個性的になっていくように思われているがそうではないようだ。

個性的は人は若い頃から個性的。

没個性的な人は若い頃から没個性。

結局のとこら人間の性格は変わらないのです。

もし若い世代から好かれる80代を目指すのなら、70代で好かれていないようでは望み薄でしょう。

それは60代でも50代でも40代でも同じこと。

つまり人から好かれる人は若い頃から好かれる人柄なんです。

逆に若い時から煙たがれている人はいくつになっても果てしなく煙たがられるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

小津安二郎『彼岸花』の赤いところだけ語らせろ。

赤いあらすじ

タイトルの彼岸花は9月の中頃になるとそこかしこに咲き始めます。真っ赤な花弁が目印。初めてカラーになった小津映画も彼岸花のような鮮烈なら赤色が印象的でした。

 

──主な登場人物

 

 

物語の始まりは東京駅舎の赤煉瓦から。東京駅は当時の新婚旅行の出発点。ひまな駅員が花嫁の品定めをしている無駄口トークがよい。後年のタランティーノ映画によく見る。


友人の娘の結婚式散会後に飲み直す初老の紳士三人組み。 礼服の黒が画面を圧迫している中で、左隅に置かれた赤いとっくりと、床の間の桔梗(?)が和ませる。


父の自宅。手前の赤いヤカンと奥の白磁の花器が人物の登場を静かに待つ。

 
帰宅する上の娘。例の赤いヤカンが迎える。白いショルダーバックに手袋。ショートカットの健康的なスタイルは“ビジネスガール“のお手本だ。


京都から訪ねてきた料亭の娘。やはり赤いヤカンが迎える。


着物の帯と椅子の毛布が外の光を反射している。赤がことのほか明るい。

 
訪問の目的は“東京のおじさま“に相談があるため。「帯の赤」と呼応するのは、敢えての「干されたセーター」。

 

恋人のアパートを訪ねる上の娘。 彼女の白いハンドバックと恋人の白いトレーナーが呼応している。ところが右隅の椅子にかかる毛布はなぜか赤と白だ。

 

父、会社の若い社員とバー「ルナ」にて。赤電話、ランプシェードなど赤がいっぱい。マダムのカンザシの飾り玉も赤だ。

 

父哀愁の図。暗い背広の背中を「赤い扉)と「唐辛子」の瓶が挟む。

 

物語の折り返し地点。白磁の花器の影が濃くなっている。そして「赤いヤカン」のそばには黄色い湯呑みが。

 

「赤いラジオ」から流れる長唄を聴きながら拍子をとるご機嫌な母。赤いヤカンは縁側の方へ移動している。

 

上の娘の結婚話でもめる夫婦。お互いの短所を言い争う。帰ってきた下の娘は姉を支持。赤いカバンがその気持ちを表しているようだ。

 

結婚前夜。女性だけのパーティーの様子。「赤いヤカン」も参加。いつもより目立つ。

 

ブドウの皮をむく母。それにしても浦野理一の染織りが可愛らしい。

 

下の娘の服装と赤いヤカンで画面を赤が占める。帰宅した父は買物した小包を背広から出した。

京都のお節介ガール。最後のお節介中。御召し物は浦野理一の染織。落ち着いた紺色から赤い裏地がのぞく。

 

その連絡を受ける母。画面の中のすべてが直線的に整っている風景は果てしなく美しい。小さな赤がポツンポツンと散らされている。

 

父が乗る特急列車のシート。奥には車掌か。結婚した上の娘夫婦が暮らす街に向かう車内だ。物語の最後は白に覆われていた。

 

英語学習の方法を見なおすヒント

3月のホワイトデーはいったいぜんたいどんな理由から「ホワイト」になったのでしょか?バレンタインデーと違ってその由来がいまだによくわかりません。

「ホワイト」については、よくわからないことがもうひとつあります。それはあたまの「ホ」です。

whiteをネイティブの発音を聴くと「ワイトゥ」と言っているように聴こえます。「ホ」が聴こえてきません。

かつて80年代のバブル期に「ホワッツ・マイケル?」という漫画がありました。「ホ」付きです。当時は何も気にすることなく「ホ」を受け入れていましたが、私たちは学校で「w」の前に「ホ」を付けるように習っていたのかどうか今となっては記憶が定かではありません。

80年代といえば、東京ディズニーランドが開演していますが、当時も今も若者の発音は「ディズニー」です。「デズニー」と発音するおじさんらをバカするのも今に始まったことではありません。

しかし、「digital」と発音するときはどうでしょう。「ディズニー」の若者も「デズニー」のおじさんも発音は同じ「デジタル」が普通です。そして2020年に新設された省庁の名称も「デジタル庁」です。庁舎に掲げられた看板をニュースか何かで見ましたが、木の板に墨字縦書きフォントが庁名とひどくアンマッチ。

 

閑話休題。ここである小説のお話をひとつ。

遠藤周作先生の『沈黙』はヨーロッパからキリスト教の布教のために江戸時代の日本にやってきた宣教師たちの物語です。

当時の江戸幕府キリスト教の信者(キリシタン)を弾圧していたわけですが、それは外国からやってきた宣教師たちに対しても同様でした。

ある時、信仰を捨てろと迫る幕府に屈した老宣教師は若い宣教師に激しく叱責されます。しかし老宣教師は真実を話します。

その言い分があまりにも真実を突き過ぎていて衝撃的でした。

日本に持ち込んだものは全て日本人の都合に合わせた仕様に成り果てる。

日本に布教したと思っていたキリスト教も日本の信者によって似ても似つかない日本仕様に変容されていた。

私はだいたいこのように理解して受け取りましたが身に覚えありませんか?英語なんてその最たるものではないでしょうか。

日本に持ち込んだ英語はもはや日本人の都合に合わせた仕様に成り果てています。

日本に普及したと思っていた英語も日本の学校によって似ても似つかない受験仕様に変容されています。

あとローマ字の影響力強すぎると思います。母音が入るから日本語と相性がいいのでしょうけど。昔からそうでしたが今もなおスタートアップ企業の社名やサービス名には日本語をローマ字化したものがわりと多く使われているではありませんか。

 

 

 

 

 

バレンタインとチョコがズブズブなように、ホワイトデーはいまだにそんなズブズブな関係を持ったプロダクトがいまだにデファクトスタンダード

もしも願いが叶うなら、 英語をペラペラしゃべりたい。 いちから勉強する気はない。 お金を払うなんてまっぴらだ。 手持ちのボキャブラリーだけでなんとかならないものなのか?

┃英語ができなきゃはじまらない

 私は東京都内の観光地周辺に住んでいる。今から10年前、いや数年前に比べても外国人観光客は激増していた。 欧米人も増えていたが、我々ローカルとのコミュニケーションはほとんどなかった。たまに道を尋ねられるくらいだった。

 観光関連業界の攻撃は凄まじく、インバウンドのニーズを残らず拾い集めそれぞれのコンテンツを提供していった。そこに一般人が入り込む余地はなかった。

 私は歯痒かった。大きな機会損失をしているように感じた。 私は数少ないチャンスすら活かしきれていなかった。街を歩いていると地図を広げている外国人は結構多い。ここで声をかけることができない。向こうから唐突に尋ねられた時には焦りまくっていけない。

 得手して英語学習のモチベーションはこんな時に一時的に高まる。 私は図書館で CD付きの時事英語学習の本を借りた。評判のよいNHK語学のアプリをインストールした。あるいはオックスフォード2000の単語帳で暗記を試みた。しかしいつものように英語学習意欲のピークはあっという間に過ぎ去っていった。 そして、2020年が到来した。

┃情報収集と発信は英語にシフトした方がいい理由

 2019年5月1日に令和が始まってから一年が経つ2020年4月。とうとうインバウンドのほぼすべての需要が蒸発した。もはや外国人に道案内することは当分ないだろう。だからといって英語が不要になったわけではない。

 私たちは現在、今までより情報収集をする時間が増えているはずだ。SNSやテレビなどによる情報収集がほとんどだと思う。しかしその情報は「日本語」に縛られている。 例えば「英語 学習 方法」で検索すると、日本語のサイトが表示される。 動画も出てくるが日本人による日本人のためのレクチャーがほとんどだ。

 これを「how study english」と検索するとどうだろう。英語圏のサイトがズラっと出てくる。サイト数が圧倒的に多い。日本語の縛りがないからだ。 情報発信にしても同じこと。日本語での発信は日本語のわかる人だけが理解できる。英語での発信は英語がわかる人すべてに届けることができる。

 残念ながら日本語は英語ほどグローバルな言語ではないのだ。私はこれまでのように日本語に縛られている情報収集と発信に制限がつくということに気づいた。

┃好きなことから始めてみる

 私はこれまでの英語学習コンテンツが不満だった。それらで上達する人はいるだろうが私はできなかった。 紹介されるフレーズは便利だしぜひ覚えたいものばかり。だけど覚えたフレーズひとつにつき使うチャンスが訪れる確率ってどのくらいなのか?単語を覚えるにしてもアルファベットのAから順番になんてとてもできない。

 このような極めて費用対効果の悪い学習方法に時間を費やしたくない。教科書通り覚えるより、汎用性のある「アイデア」を知りたいのだ。 私は「how study english」で検索した中でも特に動画サイトをたくさん見た。その中で私はいくつかのアイデア発見した。それは英語よりも私たちの営みから考えるというアイデアだ。

イデア
本当は私もあなたもお互いの健康に関心なんてない。ただのあいさつだ。相手を心配させるような応答をしない。おうむ返しでいい。

イデア
私たちは自分の名前と住んでいるところ(出身地)に関心がある。何かを質問するときには相手の名前も一緒に添えて。相手の住む地域の印象は好意的に伝える。どちらも必須。

イデア
ダイレクトな物言いはガキっぽい。例えば相手の趣味を聞くときに「趣味」という単語を使ってはいけない。

イデア
先に話すことで相手の応えをうながすことができる。「私は海岸で陶片を拾うのが好きなんだけど、キミは?」とやる。  

 どれも些細な事柄だが知っておけばきっと役に立つ。テキスト通りの言い回しは覚えるのも手間だし何より野暮ったい。英語を勉強するというより、興味のある分野を勉強する。私は人の営みに興味があったからそこが入り口となった。英語の上達はその副産物と思えば気が楽だ。《おわり》

【お金と読書量】増やす人と減らす人の違いについて語らせろ!

ずっと積んだままの本。

空いた時間はあるけれど、

なかなか読書がすすまない。

読書習慣があるからといって効率のいい読者をしているとは限りません。

本に使ったお金も結構積みあがっているのでは?

自称読書家が陥りがちな負けパターンとは?

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自称読書家のみなさんに捧げます。

私はいつも読みたい本がありすぎて困っていました。

少しでも面白そうだと思う本はどんどん買ってしまうからです。

特に中古の本屋は宝探しのような期待感も手伝って歯止めが効かないくらい買い漁ることもしばしば。

ところが本屋ではワクワクして買った本も自宅では読む気にならなかったりして結局積ん読状態に。

本に注ぎ込むコストは増える一方なのに肝心な読書量がまったく増えない。

逆説的ですが読書量を増やしたかったら本を買ってはいけないのです。

読書量を増やす3つの作戦

①本屋で本は買わない

身銭を切って買った本じゃないと身にならない説もよく聞きますが、それは人それぞれでしょう。

私の場合、所有しちゃうといつでも読めるという考えからどんどん優先順位が低くなって積ん読のワナにはまりやすいのです。

人によっては最善の策でも私にとっては阻害要因になるのです。

私は今では本を買うことをキッパリとやめています。

数年間一冊も買っていません。

だからといって本を読まなくなったわけでも本屋に行かなくなったわけではありません。

引き続き本屋は好きで行っています。(今はAmazonのサイトと併用)

しかし私にとって本屋は本を買う場所から、情報を仕入れにいく場所に変わりました。

本屋には自分の興味のあるなしに関わらず色んな分野の本があります。

本屋でそれまで知らなかったジャンルに出会うこともよくあります。

興味関心の幅を広げることが読書量を増やすことにつながります。

そしてもうひとつ。

②本屋では立ち読みに徹する

読書量増やすには「立ち読み」が効きます。

最近ではカフェと併設された本屋もあって自宅のように寛いで読書ができる空間もありますがどちらにしても時間制限といものがあります。

〆切といってもいいでしょう。

〆切に追われると集中力が高まったという経験は誰にでもあると思います。

立ち読みは〆切効果というレバレッジがかかるので読書の質も上がっていきます。

ぜひ試してみてください。

何も失うものはありません。

立ち読みですから。

③図書館を徹底的に活用する

本がある場合といえば図書館です。

読書量を増やすためにはとにかくコスパのいい図書館を利用しない手はありません。

借りるということは当然返却期限があります。

実はこの締めきりがあることによって読むモチベーションになります。

買ったのだから読まなくてはという消化試合のストレスはありません。

違うと思えばすぐに返しまえばいい。これで読書量は確実に倍増するでしょう。

こちらの記事に図書館活用法をもっと詳しくまとめていますので参考にしてみてください。

目指すは読書量と可処分所得の増加

ベストセラーになった本もしばらくすれば図書館に入ってきます。

例えば21世紀の資本というメガベストセラー。

【r > g】という不等式がその本の代名詞ですが、は投資の利益、は経済の成長を表しているそうです。

これは投資家をする人の方が投資をしない人よりも稼いでいることを意味しています。

これをもってして格差を叫ぶこともできますが、別の考え方もできます。

は私たちの毎月の給料とも言えます。

そしてを投資に振り向けることによってを得ることができます。

ふつう、本を買うとき私たちは稼いだから費用を捻出します。

そしてはその分減ります。

本を読んだことによってそれがrになればいいのですが、積読のままではただの浪費、貴重なが目減りしいる状態です。

そうじゃなくてもは守らなければなりません。

はあらゆるところから削り取られるリスクに晒されているからです。

それはマーケティングからであり、税金からであったりします。

今回紹介したお話は、読書量を増やすとともに、私たちのを守りを増やしていく作戦でもあります。

読書量を増やすことが読書習慣をつくることに繋がっていきます。

読書習慣についてはあの世界一の投資家もその大きなメリットを説いています。

詳しくはこちらからどうぞ。

ikenohatazo.hatenablog.jp

 

『麦秋』私の小津映画あるある。

たまに作品の区別がつかなくなる。

ある日、紀子三部作のひとつ『麦秋』を久しぶりに観た。記憶の中で覚えていたシーンを期待して見ていたけどついにそんなシーンは出てこなかった。別の作品のシーンと混同していたのだろう。

笠智衆の配役設定に違和感を感じる。

三部作を時系列で辿ると『晩春』→『麦秋』→『東京物語』という順番になる。そして主要なキャストは原節子笠智衆杉村春子らで固定されているが、各作品ごとに微妙に関係値が変わっている。例えば『晩春』のヒロイン紀子に原節子、その父が笠智衆、叔母が杉村春子だった。『麦秋』では原節子笠智衆が兄妹で、杉村春子はご近所さんだ。そして『東京物語』になると原節子笠智衆は義理の父娘となり、義理の姉が杉村春子だった。『東京物語』があまりにも有名なために私たちは笠智衆を『東京物語』の役柄のような老人だと勝手に思い込んでいる。(あるいは寅さんの御前様)ところが『麦秋』の笠智衆は私たちの思い描く笠智衆と地味に違っていた。なんだか注文したものと地味に違ったものが出されたような気分になるくらい地味にキャラ変しているのだ。『晩春』から『麦秋』を経て『東京物語』に至るまで約5年の間に笠智衆は恐らく60代〜40代(本人は当時50代)の幅の役を演じている。『麦秋』では親子役だった東山千栄子と次回作の『東京物語』では老夫婦役になっている。あまり期間を空けずに見てしまうとその関係値のボラティリティ(変動の度合い)の大きさを受け入れられない。ストーリーよりもそっちの方がが気になってしまう。そう感じるのは私だけだろうか?

見るたびに新しい発見がある。

人の気持ちは変わっていくものだから同じ映画を観ても気づかなかったことに気づくこともよくある。すべてのよい映画に当てはまることだ。私の場合、美術に少し興味を持ち出した頃に小津作品を見直すと日本美術の精華がちりばめられていることに気づく。『麦秋』では紀子の叔父さんにあたる人が大和(奈良)から北鎌倉の家にやってきた時のこと、紀子の父親と書画を見なが話していた。

「もういっぽんせんめんのがありましたね。やっぱりたいがどうの。」

麦秋』は何度か見ていたがまったく記憶にないシーンだった。多分何を言っているのかさっぱりわからなかったからだろうが私にもやっとわかる時がきた。

「もう一本、扇面のがありましたね。やっぱり大雅堂の。」と言っていたのだ。つまり池大雅が扇の面に描いた物のことを指す。文化や芸術のリテラシーが高まれば小津映画を見る楽しみが増える。後のカラー作品で女優たちの着物の洗練された柄や色彩の良さに気づくことができる。まるで美術の地図を手にして小津映画の世界を旅してまわるように。きっと地図は他にもあるだろうから色んな地図で小津映画の遺産を発掘していけたらおもしろい。《おわり》

 

在宅で心の健康を守る心構え。

リモートワーク歴4年の私がおもうこと

何の準備もなくリモートワークに突入した人は多いと思います。設備環境も心の準備もロクにする時間もなかったことでしょう。在宅生活が長引いている昨今、みなさん運動不足の解消に躍起ですがそれよりもっと大事なこと忘れてやしませんか?

 私の生活は今のところまったく変わっていません。毎日決まった時間に起きて食べて寝ています。たまの外出から帰ってきたら手洗いうがいもずっと続けています。リモートワークに関しては「一日の長」があると自負しています。

リモートワークで陥りがちなワナは生活リズムの崩壊です。皆さんが問題視している運動不足は生活リズムの崩壊がもてらした結果にすぎません。

┃元気があれば何でもできるというけれど

生活リズムの崩壊は、心の健康を蝕みます。具体的には自律神経がやられます。どのような症状が現れるかは「メンタルヘルス コロナ」で検索してみるといいでしょう。

 心が健康でなくなると元気がなくなります。運動不足だとわかってるけど運動する気になんてとてもなれない。元気のなさはとちろん仕事にも影響するでしょう。

┃アナログのチカラが発揮される

コロナショックによって加速した在宅ワークは基本的にオンラインシステムを利用します。つまりデジタルテクノロジーのチカラによる働き方です。 しかしコロナウィルスそのものに対する最も有効防御策は今のところ「マスク」「手洗いうがい」「ステイホーム」「ソーシャルディスタンシング」など、すべてアナログです。 私たちはアナログのチカラを見直すことにしたほうが良さそうです。

青竹踏みのありがたい効能

生活バランスを崩すことによる体調の異変は「自律神経の刺激」で対応できます。おすすめは青竹踏みです。 青竹踏みは在宅ワーカーが求めている効能のほぼすべてが網羅されています。
こんなに恩恵のある青竹踏みがなぜ注目されてないのか不思議でなりません。

推奨されているのは1セット5分以上ですが実際にやってみるとこれが結構長く感じます。そこで私はシーン別のながら青竹踏みを始めました。ラジオを聴きながらYouTubeをみながらだとわりと長く踏み続けることができます。
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愛用の「青竹」。踏み面の角度もちょうどいい。

青竹踏みも私にとっては毎日の習慣。いわばルーティンです。物事のルーティン化にはチカラがあります。しかし良くないルーティンは良くない方向にそのチカラが向かいます。大切なのは良いルーティンを早く作って良い方にチカラを向けること。ただそれだけでいいように思っています。

 

【JOJO的】在宅体制下を有利に乗り切る働き方

仕事を本当に回しているものとは?

いち早く在宅化に踏み切った企業の経過報告が新聞の記事にのっていました。

在宅での業務は各自がこれまでに積み上げてきた信頼性を使って行うこと。

これを「信頼関係の貯金」と呼ぶそうです。
例えばアナタが誰かに業務上での協力を求めたとします。その時相手がまず思うのはその内容ではありません。アナタに対しての印象です。アナタが好印象であれば気持ちよく引き受けてくれるでしょう。しかし悪印象だったらあれこれ理由をつけて断られる可能性が高いです。

つまり相手はアナタの信頼性を元に対応を選ぶとといことです。その時どちらにしろアナタの「信頼貯金」は引き出されてしまいます。しかし残高の減り具合は雲泥の差です。下手したら借金しちゃう人もいるのですから。

ゲームのルールが変わって有利になる人たちとは?

ここで残念なお話をひとつ。信頼貯金はつい最近まで続いたオフライン時代の働きぶりが元本を形成しています。つまり、新しく入ってきた人や以前から凡庸な働きぶりだった人にとって在宅体制下の仕事はかなりハンディを背負うことになるでしょう。前者は0からのスタート、後者はマイナスからのスタートです。経験上マイナススタートの人はマイナス幅をどんどん広げていきそうな予感がします。

その点、信頼貯金がある人はかなり有利にこの「ゲーム」をプレイできるはずです。私の考えたところそのプレイスタイルは2通りあります。

①オフライン時代と変わらず貯金をコツコツ積み上げていくスタイル。

②気兼ねなく貯金を使っていくスタイル。

楽をしたい合理主義者の私は②を推奨します。

今こそ「JOJO」のアノ能力発揮の時

ここでいきなり「JOJO」の話になります。あまりにも有名なため「JOJO」の詳細は割愛しますが、この漫画の面白さは「スタンド」という概念にあります。生命エネルギーが作り出す背後霊のような存在とでもいえましょうか。ほぼ全ての登場人物はスタンドを有していて、魂の意思でスタンドを操ります。実際に戦闘するのもスタンド同士です。その感じはある意味リモートワーク的です。

話は再び「在宅ワーク」に戻ります。私は信頼貯金を使った働き方とスタンドを使った闘い方が似ていると思いました。JOJOたちの生命エネルギーが高ければ高いほどスタンドは強力になります。同じように私たちの信用力が高ければ高いほど信頼貯金の影響力も高まります。

JOJOの物語でスタンドはそれぞれ特殊な能力を持っています。もちろん私たち信頼貯金という名のスタンドの能力も素晴らしいものです。本人の姿は見えないけどきっちりやっているに違いないとまわりを勝手に思い込ませてしまう能力です。

この能力をどう使うかはひとそれぞれですが、(楽をしたい合理主義者の)私なら仕事の8割をスタンドにまかせるでしょう。その間当の本人は自分のQOLを高める活動に遠慮なく没頭すしていることでしょう。ズルいと思う人がいるかも知れませんが、まったくズルくありません。これは自分自身がどんなリソースを持っていてどんな価値があるのかを発見した人による、いわば人生の戦略なのです。

『G0後の世界』著者イアン・ブレマー┃インタビューまとめ

\この記事の内容/

米国の国際政治学者イアン・ブレマー氏のインタビューまとめ。過去の危機と今起こっていることを比較して考える世界と私たち一人ひとりの“これから“を紹介。(2020年4月NHKのインタビューより)

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アメリカの場合。

 著書『G0後の世界』 で主導国なき世界を示した米国の国際政治学者イアン・ブレマー氏。突如として緊急事態に突入した世界で今各国はバラバラに対応し協調性に欠けているように映る。“Gゼロ時代“における世界秩序と生き方が変化していく。

 Gゼロ以前の世界で唯一の“G1"として君臨していたアメリカ。ところが今回の危機において未だに国際的なリーダーシップを発揮していない。それは過去の危機対応と比べて見ても明らかだ。

 まずは9.11の危機時、アメリカはブッシュを中心に団結した。支持率92%まで跳ね上がった。欧州はそろってアメリカを支持した。当時敵対していたロシアでさえ協力した。

 2008年の金融危機時もブッシュ、オバマのもとアメリカは再び団結した。欧州も結束していた。アメリカはG20をつくり、中国はアメリカのリーダーシップを支持した。結果、世界恐慌を回避できた。

 しかし2020年、アメリカは団結していない。トランプの支持率46%はブッシュの半分だ。欧州との協調もない。それどころか欧州からの入国禁止を事前通告なしに踏み切った。G7・G20召集の試み、サプライチェーン調整、データ収集の取り組みなど国際社会におけるアメリカの対応はゼロだ。トランプは一切役割を果たしていない。

 国内の実効性のある財政・金融政策実施は評価できるが医療面での対応が遅れためそれにかかりっきりだ。まさにアメリカファーストだ。

┃中国の場合。

今回の危機は経済的打撃に加え政治的問題も大きい。世界秩序が変化していこうとする流れの中、アメリカに変わり影響力を増しているのが中国だ。

 危機の中で中国は素早く行動しているが全て単独行動だ。国際社会への積極外交と責任を否定するプロパガンダ攻勢をかけている。特にアメリカと同盟関係にある欧州で積極的だ。

 そして米中冷戦はテクノロジー分野で始まっている。 5G、AI、クラウドビッグデータ、監視技術で米中は相互投資をしていない。両国の分断が進み競争が激化する。それが今後サプライチェーン、サービス業、製造業に波及すればさらに相互依存が減り争いが起きやすくなるだろう。分断はやがてグローバルに拡大し我々は敗北寸前まで追い詰められる可能性がある。どん底の世界で我々は決断を迫られるかもしれない。 

┃世界を巡る影響。

 企業は従業員の数を減らさないといけなくなる。特にサプライチェーンが機能しなくなることに備えて多くの国がサプライチェーンを強化ささるため自国内に移動させる動きが活発になるだろう。

そして格差はさらに拡大し、ハイテク企業が大きくなり実店舗型企業は倒産していく。さらに新興国の崩壊も現実味を帯び来ている。ウィルスに対抗する有効な手段である「ソーシャルディスタンシング」や「手洗い」の環境が整っていない。感染者爆発の危機だ。そして原油価格の下落も大きな影響を及ぼすだろう。

┃そして犬を飼う?

 9・11の時、ニューヨークは団結していた。私たちは皆が同じ体験をしていたから通りに出て友人や家族に手を差し伸べた。2020年はどうだ?人々はアパートの中に安全を求めている。問題なのは国際宇宙ステーションに一年間滞在した宇宙飛行士の精神的ダメージと同じことが起ころうとしている。人間性が奪われている。人間は社会的いきものだ。つながりが必要だ。それをスクリーン(仮想現実)で得ることは不可能だ。

 これからは個人レベルで対処する方法が必要だ。私たちはいつもと違うことをする必要がある。人間性を失ってはいけない。それには犬を飼うといい。朝に瞑想してもいい。バカにしてはいけない。とても実効性がある行動なのだから。

 グローバルな分断がすでに始まっている。我々は正しい決断ができるのか?試練に勝利することができるのか?または敗北か?最後に問われるのは我々一人ひとりの人間性にかかっている。

《おわり》

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