東京はアートの密集地です。
日本ではアートの定義は広くて、その範囲には古美術も含まれています。
つまり東京は古美術の街でもあるのです。
古美術好きには楽園のような街です。
古美術好きによくある光景
東京の青山にある古美術屋に立ち寄った時のこと、そちらで素晴らしいお茶碗に出逢いました。
そのお茶碗の値段は私がこれまで購入してき相場に比べると10倍ほどお高い。
名残惜しくありましたけどその日は撤退することにしました。
お茶碗に心を奪われていた私は己にこう問いました。
「なぜあのお茶碗が欲しいと思ったのだろう?」
そして買う決心が付いたのです。
古美術は購入を逡巡していると次の機会が巡ってくるかどうかは保証されていない早いもの勝ちの世界です。
あのお茶碗だってもしかしたら今この瞬間に売れてしまっているかもしれませんが、それは古美術好きにとっては当然の習い。
ご縁がなかったとあきらめるまで。
次の休みの日、もう一度行ってみよう。ご縁があればきっと手に入ることでしょう。
美の巨人、柳宗悦は多くの言葉を求めなかった
あくる日の午後、私はどきどきしながら青山にあるお店を再び訪れました。
うれしいことに、お茶碗はまだあったのです。
先日と同じように、昼下がりの陽光に照らされておりました。
私はお茶碗を手に取り眺めました。
とても、とても良い。
もしも、このお茶碗が東京駒場の日本民藝館にあったとしても不思議ではないほどの良いお茶碗です。
柳宗悦の眼に適った品品が収蔵、または展示されている歴史のある民藝美術館です。
彼は良きものを見た時は、ただひとこと「良い」とだけ言ったという。
彼の発したのがたった一言だとしても、その背景には、いわば究極の美のデータベースの裏付けがしっかりとありました。
だから柳宗悦が「良い」と言ったのならそれは絶対的に「良い」のです。
これ以上言葉を尽くす必要はない。
柳宗悦は日常使いの雑器の中に美を見出す価値観をも発見した目利きでした。
かれはそれを「民藝」と言い表しました。
私が東京青山で眺めていたそのお茶碗も、もとは琉球八重山で焼かれ、名もなき民が生活の中で使った雑器、すなわち民藝品に他なりません。
おそらく少し前ならこのお茶碗を見たとしても「良い」とは思えなかったかもしれません。
ところが、ここ数年、柳宗悦という美の巨人の肩に乗っかっりながら、数多の民藝品。眺めてきたからでしょうか、私はそのお茶碗をたまらなく「良い」と感じたのです。
そしてかつての八重山の民のように、このお茶碗で酒を呑み、飯を食い、たまに一服のお茶をいただくことを想像しました。
古い茶碗は、本来の茶碗の機能を超えたものを有している
鉄絵で描かれた渦巻文様と、灰釉の半端な掛け方が特徴的です。
高台まわりは肌色の土が見えています。雑器とは思えない洗練された作行きです。
見どころはまだあります。
それは灰釉と地肌の境界の景色が、山の稜線に見えました。
すると左上の銀繕が山を照らす月の様にも見えてくる。
それは、まるで横山大観の富士図のようです。
あるいは境界線の見方を変えてみると、今度は遥か先まで続く一本の道にも映ります。
あの東山魁夷の「道」を彷彿させる見事な景色です。
そしてもっとよく眺めていると、躍動的な筆跡で描かれた渦巻文様がいつしか樹木のように思えてきました。
上空に輝く銀繕の月が手前の渦巻文様の樹木と奥行きのある一本道を照らしているようです。
前景に思いっきり物体を配置した大胆なその構図は歌川広重の浮世絵そのものです。
そして浮世絵に影響を受けた有名な画家のひとりである、フィンセント・ヴァン・ゴッホの描いた絵画のようです。
私の愛する茶碗はこれだけ多くの絵画を内包している。
それが良いと思った理由です。