東京ありがた記

東京ありがた記

Arigataki is written in Tokyo.

『麦秋』私の小津映画あるある。

たまに作品の区別がつかなくなる。

ある日、紀子三部作のひとつ『麦秋』を久しぶりに観た。記憶の中で覚えていたシーンを期待して見ていたけどついにそんなシーンは出てこなかった。別の作品のシーンと混同していたのだろう。

笠智衆の配役設定に違和感を感じる。

三部作を時系列で辿ると『晩春』→『麦秋』→『東京物語』という順番になる。そして主要なキャストは原節子笠智衆杉村春子らで固定されているが、各作品ごとに微妙に関係値が変わっている。例えば『晩春』のヒロイン紀子に原節子、その父が笠智衆、叔母が杉村春子だった。『麦秋』では原節子笠智衆が兄妹で、杉村春子はご近所さんだ。そして『東京物語』になると原節子笠智衆は義理の父娘となり、義理の姉が杉村春子だった。『東京物語』があまりにも有名なために私たちは笠智衆を『東京物語』の役柄のような老人だと勝手に思い込んでいる。(あるいは寅さんの御前様)ところが『麦秋』の笠智衆は私たちの思い描く笠智衆と地味に違っていた。なんだか注文したものと地味に違ったものが出されたような気分になるくらい地味にキャラ変しているのだ。『晩春』から『麦秋』を経て『東京物語』に至るまで約5年の間に笠智衆は恐らく60代〜40代(本人は当時50代)の幅の役を演じている。『麦秋』では親子役だった東山千栄子と次回作の『東京物語』では老夫婦役になっている。あまり期間を空けずに見てしまうとその関係値のボラティリティ(変動の度合い)の大きさを受け入れられない。ストーリーよりもそっちの方がが気になってしまう。そう感じるのは私だけだろうか?

見るたびに新しい発見がある。

人の気持ちは変わっていくものだから同じ映画を観ても気づかなかったことに気づくこともよくある。すべてのよい映画に当てはまることだ。私の場合、美術に少し興味を持ち出した頃に小津作品を見直すと日本美術の精華がちりばめられていることに気づく。『麦秋』では紀子の叔父さんにあたる人が大和(奈良)から北鎌倉の家にやってきた時のこと、紀子の父親と書画を見なが話していた。

「もういっぽんせんめんのがありましたね。やっぱりたいがどうの。」

麦秋』は何度か見ていたがまったく記憶にないシーンだった。多分何を言っているのかさっぱりわからなかったからだろうが私にもやっとわかる時がきた。

「もう一本、扇面のがありましたね。やっぱり大雅堂の。」と言っていたのだ。つまり池大雅が扇の面に描いた物のことを指す。文化や芸術のリテラシーが高まれば小津映画を見る楽しみが増える。後のカラー作品で女優たちの着物の洗練された柄や色彩の良さに気づくことができる。まるで美術の地図を手にして小津映画の世界を旅してまわるように。きっと地図は他にもあるだろうから色んな地図で小津映画の遺産を発掘していけたらおもしろい。《おわり》