東京ありがた記

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Arigataki is written in Tokyo.

英語学習の方法を見なおすヒント

3月のホワイトデーはいったいぜんたいどんな理由から「ホワイト」になったのでしょか?バレンタインデーと違ってその由来がいまだによくわかりません。

「ホワイト」については、よくわからないことがもうひとつあります。それはあたまの「ホ」です。

whiteをネイティブの発音を聴くと「ワイトゥ」と言っているように聴こえます。「ホ」が聴こえてきません。

かつて80年代のバブル期に「ホワッツ・マイケル?」という漫画がありました。「ホ」付きです。当時は何も気にすることなく「ホ」を受け入れていましたが、私たちは学校で「w」の前に「ホ」を付けるように習っていたのかどうか今となっては記憶が定かではありません。

80年代といえば、東京ディズニーランドが開演していますが、当時も今も若者の発音は「ディズニー」です。「デズニー」と発音するおじさんらをバカするのも今に始まったことではありません。

しかし、「digital」と発音するときはどうでしょう。「ディズニー」の若者も「デズニー」のおじさんも発音は同じ「デジタル」が普通です。そして2020年に新設された省庁の名称も「デジタル庁」です。庁舎に掲げられた看板をニュースか何かで見ましたが、木の板に墨字縦書きフォントが庁名とひどくアンマッチ。

 

閑話休題。ここである小説のお話をひとつ。

遠藤周作先生の『沈黙』はヨーロッパからキリスト教の布教のために江戸時代の日本にやってきた宣教師たちの物語です。

当時の江戸幕府キリスト教の信者(キリシタン)を弾圧していたわけですが、それは外国からやってきた宣教師たちに対しても同様でした。

ある時、信仰を捨てろと迫る幕府に屈した老宣教師は若い宣教師に激しく叱責されます。しかし老宣教師は真実を話します。

その言い分があまりにも真実を突き過ぎていて衝撃的でした。

日本に持ち込んだものは全て日本人の都合に合わせた仕様に成り果てる。

日本に布教したと思っていたキリスト教も日本の信者によって似ても似つかない日本仕様に変容されていた。

私はだいたいこのように理解して受け取りましたが身に覚えありませんか?英語なんてその最たるものではないでしょうか。

日本に持ち込んだ英語はもはや日本人の都合に合わせた仕様に成り果てています。

日本に普及したと思っていた英語も日本の学校によって似ても似つかない受験仕様に変容されています。

あとローマ字の影響力強すぎると思います。母音が入るから日本語と相性がいいのでしょうけど。昔からそうでしたが今もなおスタートアップ企業の社名やサービス名には日本語をローマ字化したものがわりと多く使われているではありませんか。

 

 

 

 

 

バレンタインとチョコがズブズブなように、ホワイトデーはいまだにそんなズブズブな関係を持ったプロダクトがいまだにデファクトスタンダード

もしも願いが叶うなら、 英語をペラペラしゃべりたい。 いちから勉強する気はない。 お金を払うなんてまっぴらだ。 手持ちのボキャブラリーだけでなんとかならないものなのか?

┃英語ができなきゃはじまらない

 私は東京都内の観光地周辺に住んでいる。今から10年前、いや数年前に比べても外国人観光客は激増していた。 欧米人も増えていたが、我々ローカルとのコミュニケーションはほとんどなかった。たまに道を尋ねられるくらいだった。

 観光関連業界の攻撃は凄まじく、インバウンドのニーズを残らず拾い集めそれぞれのコンテンツを提供していった。そこに一般人が入り込む余地はなかった。

 私は歯痒かった。大きな機会損失をしているように感じた。 私は数少ないチャンスすら活かしきれていなかった。街を歩いていると地図を広げている外国人は結構多い。ここで声をかけることができない。向こうから唐突に尋ねられた時には焦りまくっていけない。

 得手して英語学習のモチベーションはこんな時に一時的に高まる。 私は図書館で CD付きの時事英語学習の本を借りた。評判のよいNHK語学のアプリをインストールした。あるいはオックスフォード2000の単語帳で暗記を試みた。しかしいつものように英語学習意欲のピークはあっという間に過ぎ去っていった。 そして、2020年が到来した。

┃情報収集と発信は英語にシフトした方がいい理由

 2019年5月1日に令和が始まってから一年が経つ2020年4月。とうとうインバウンドのほぼすべての需要が蒸発した。もはや外国人に道案内することは当分ないだろう。だからといって英語が不要になったわけではない。

 私たちは現在、今までより情報収集をする時間が増えているはずだ。SNSやテレビなどによる情報収集がほとんどだと思う。しかしその情報は「日本語」に縛られている。 例えば「英語 学習 方法」で検索すると、日本語のサイトが表示される。 動画も出てくるが日本人による日本人のためのレクチャーがほとんどだ。

 これを「how study english」と検索するとどうだろう。英語圏のサイトがズラっと出てくる。サイト数が圧倒的に多い。日本語の縛りがないからだ。 情報発信にしても同じこと。日本語での発信は日本語のわかる人だけが理解できる。英語での発信は英語がわかる人すべてに届けることができる。

 残念ながら日本語は英語ほどグローバルな言語ではないのだ。私はこれまでのように日本語に縛られている情報収集と発信に制限がつくということに気づいた。

┃好きなことから始めてみる

 私はこれまでの英語学習コンテンツが不満だった。それらで上達する人はいるだろうが私はできなかった。 紹介されるフレーズは便利だしぜひ覚えたいものばかり。だけど覚えたフレーズひとつにつき使うチャンスが訪れる確率ってどのくらいなのか?単語を覚えるにしてもアルファベットのAから順番になんてとてもできない。

 このような極めて費用対効果の悪い学習方法に時間を費やしたくない。教科書通り覚えるより、汎用性のある「アイデア」を知りたいのだ。 私は「how study english」で検索した中でも特に動画サイトをたくさん見た。その中で私はいくつかのアイデア発見した。それは英語よりも私たちの営みから考えるというアイデアだ。

イデア
本当は私もあなたもお互いの健康に関心なんてない。ただのあいさつだ。相手を心配させるような応答をしない。おうむ返しでいい。

イデア
私たちは自分の名前と住んでいるところ(出身地)に関心がある。何かを質問するときには相手の名前も一緒に添えて。相手の住む地域の印象は好意的に伝える。どちらも必須。

イデア
ダイレクトな物言いはガキっぽい。例えば相手の趣味を聞くときに「趣味」という単語を使ってはいけない。

イデア
先に話すことで相手の応えをうながすことができる。「私は海岸で陶片を拾うのが好きなんだけど、キミは?」とやる。  

 どれも些細な事柄だが知っておけばきっと役に立つ。テキスト通りの言い回しは覚えるのも手間だし何より野暮ったい。英語を勉強するというより、興味のある分野を勉強する。私は人の営みに興味があったからそこが入り口となった。英語の上達はその副産物と思えば気が楽だ。《おわり》