東京ありがた記

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Arigataki is written in Tokyo.

小津安二郎の『晩春』を観る用意はできているか?

 

 

序章

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Are You Ready ?

小津安二郎が映画監督になったのは学生時代に観まくった映画への憧れからだったといいます。

当時の小津安二郎の日記には鑑賞した映画が記されています。

そのほとんどが当時のハリウッド映画でした。

そのハリウッド映画の脚本は当時も今も三幕構成の枠組みで書かれているそうです。

第一幕は誰が何を何のためにする物語か共有する幕。

初めの10分間で必要な予備知識を観る側に与える「設定」の時間であると同時に、観る側にとってもこのまま見続けるかどうか「判断」するための時間。

すべての映画にとって大切な最初の10分間。

今回取り上げる『晩春』は、あの『東京物語』より4年早く撮られていて、いわゆる「小津調」が確立された作品として知られています。

では最初の10分間を描写していきましょう。

 

たった10分だけの「晩春」レビュー

 

スタッフと出演者の紹介をテーマ曲にのせてきっちり2分。

ファーストカットは北鎌倉駅

風に揺れる草木。

仏閣の境内の風景。

ウグイスの声。

そこは鎌倉の名刹円覚寺か?


境内の茶室をローアングルから。

着物を着た若い女性が登場。

原節子だ。

先に着いていた年配の女性(杉村春子)の隣へ座って話しかける。

 

「おばさま、お早かった?」

「ううん。ほんの少し前。今日お父さまは?」

「うちでお仕事。昨日までの原稿がまだできなくて(笑)。」

 

そのあとはお得意の無駄口トークが始まる。

虫に食われた縞のズボンが直らないかと原節子にお願いして持ってきた風呂敷を渡す杉村春子

 

「やってみてよ。これ。」

「あっ、もってらしたの?(笑)」

「おしりのとこ二重にしといてね。」

 

別の妙齢の女性(三宅邦子)が遅れて登場。

杉村春子と軽い挨拶ひとことふたこと。

 

「またご一緒かと思って新橋の方でちょっとお待ちしてみたんですけど。」

「一電車遅れまして。」


仏閣建物外観。

ローアングルで廊下から茶室を臨む。

茶室内では帛紗さばきをして茶杓を浄める茶湯の先生の姿。

ここからしばらくセリフはない。

背景音楽が流れる中、茶碗に注がれる柔らかいお湯の音、茶を点てる茶杓のシャープな音。

そしてウグイスの清らかなさえずりも絶え間なく聞こえてくる。

原節子茶の湯の先生の点前を真剣に見つめていた。

女性たちのいる茶室から離れてカメラの視点は庭園へ。

そこに咲いている花は晩春の水仙か。

山の木々のカットを経て場面は別の場所へ。

そこでは初老の男性と若い男性が文机で何やら作業をしている。

初老の男は笠智衆である。

 

「ないかい?」

「あっ。ありました。 “フリードリヒ・リスト(Friedrich List)“。 やっぱり"ツェット(z)"はありませんね。エル、イー、エス、テー。」

「そうだろ? エル、イー、エス、ツェット、テー(Liszt)のほうのリストは音楽家の方だよ。」

 

突然ガラガラと玄関が開く。

 

「電燈会社でーす。メートル拝見します。」

 

ここで一旦2人の話しが中断する。

 

「踏み台貸してください。」

 

玄関先での電燈会社の作業員の声を聞いて笠智衆に尋ねる。

 

「どこです?」

「廊下にあるんだがね。梯子段の下の。」


リストについて話題が再開するも作業員の声がまたしても割って入る。

 

「3キロ超過でーす。」

 

そして来た時と同じようにガラガラと玄関を閉めて帰っていくと笠智衆は書き上げた原稿を若い男に渡して尋ねる。

 

「今までのところ何枚ぐらいになるかな?」

「十二、三枚ですね。」

「そうか。あと六、七枚だねぃ。」

 

場面は家屋の外に切り替わる。

向こうから歩いてくるのは原節子

着物を着ているからさきほどの茶会の帰りのようだ。

 

「ただいま」

 

そこには先程の笠智衆と若い男がいる。

ということはそこが自宅だとすると笠智衆は父親だ。

茶会の席で原節子が言っていた“うちでお仕事“とはこのことだったとわかる。

 

「お清書? すいません。助かっちゃった。」

 

若い男が手伝っていた作業は、きっと普段は原節子が手伝っているんだろう。

原節子は若い男を労う。

 

「ゆっくりしてらしてよろしんでしょう?」

「 いやあ、今日はおいとまします。」

「いいじゃないの。明日だったら私も一緒に東京いくわよ。」

「何だい?東京。」

「病院。それからお父さんのカラーも買ってきたいし。」

 

原節子の話しを受け流すように若い男がが笠智衆に麻雀の話を振る。

すると年配の男は麻雀をするために“せいさん“という人物を誘うことにした。

 

「おい!紀子!紀子!」

 

彼の娘(原節子)の名前は「のりこ」だ。

 

「もうお書けになったの?」

「うん。あと少しなんだ。」

「だめよ。」

 

麻雀は原稿が全部書き終えてなさったらという意味だ。

笠智衆はふてくされて原稿執筆に戻ると語気を荒げて捨て台詞を吐く。

 

「お茶!お茶!」

 

タバコを乱暴にくわえて不満を大いに表明している。笠智衆にしては珍しい演技だ。

 

小津映画は最強のコミュニケーションツールになる

以上が『晩春』のはじめの10分間でした。

どうでしょう、随分と雑談が多い気がしますし、風景もたっぷりインサートされていましたね。

つまり物語に直接影響しない「間」に多くの時間を割いていた印象を受けます。

私はそれを、小津安二郎監督が映画と鑑賞者がコミュニケーションをとるための仕掛けだと推察しました。

例えば、「雑談」はコミュニケーションを円滑にしますし、風景なんていうのは時として言葉以上に印象に残ったりもします

『晩春』とのコミュニケーションが上手くとれたとしたら、この先にでてくる日本映画屈指の名場面の数々を目撃することができます。

『晩春』に限らず小津映画はもう50年以上見続けられている不朽の名作ですから、国内外に広がる鑑賞したことのある人どうしだったら、お互いにあの名場面や、お気に入りの場面について語ることができます。

つまり小津映画は、世代も国籍も超える最強のコミュニケーションツールなのです。

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