魯山人の器はなぜいいのか説明できますか?
大芸術家、北大路魯山人の残した品が世界でいちばん多く集まっている街、東京。
例えば銀座界隈をそぞろ歩けば魯山人作の本物に触れる機会がけっこうあって、その時はやっぱり魯山人はいいなと思ってたりしていました。
実は、どこがどういいかはうまく説明できませんでしたが、、、。
ある日、魯山人の展示会を銀座でやっていたので見に行ったことがありました。
会場には水琴窟の清浄な再現音が流れていた中、私は作品ひとつひとつ見てまわりました。
黄瀬戸茶碗、伊賀の花入、備前の壺、 赤絵の鉢、染付の徳リなど、魯山人はどれもいいなと思って会場を後にしました。
その帰り道のこと。
私は自宅の近所にある馴染みの古美術店に立ち寄り、店のおやっさんに、銀座で魯山人をたくさん見てきたという話をしました。
するとおやっさんからするどく問われたのです。
「魯山人がなぜいいのか、わかるか?」
私は思わず答えに屈しました。
言葉が出てきません。
説明できないのです。
ついさっき魯山人の作ったものを実際に見て「いい」と感じたばかりだったというのに。
私は何をもってして「いい」と思っていたのでしょうか?
まさか、みんながいいといっているから?
魯山人器と料理は切っても切り離せない関係
料理と食器とは相離れることのできない、いわば夫婦のごとき密接な関係がある。
魯山人の言葉です。
魯山人は漫画「美味しんぼ」の美食倶楽部を主催する海原雄山のモデルと言われていることから美食を極めた人物です。その魯山人からすると料理はもちろんのこと、食器を極めずして美食を極めたとはいえないのです。
魯山人はろくろを回さなかったそうですが、本職の職人よりもやきものを知り尽くしていたそうです。
やきものの美しいプロポーションの造形は職人に求め、自らは絵付けに力を注ぎました。
しかしなぜ料理を盛る器に絵が必要なのでしょうか?
例えば銀座の会場でみた呉須赤絵の鉢。
微かに青みがかかった釉薬がたっぷりかかった白地に赤い呉須で実に奔放な絵付けがしてありました。
その中に濃い紫色をしたぶどうを盛り付けてみるとします。
ぶどうを食べていくと見込みの中に描かれた絵が少しずつ姿を表してくる。
最後の一粒を食べるまで愉しみがつづくしくみです。
魯山人の器に流れ込む日本美術の潮流
そしてもうひとつ。
北大路魯山人の作品から漂う品位と雅さ。
それは桃山時代の本阿弥光悦、尾形光琳など卓越した先人たちの影響を強く感じます。
さらに桃山時代の芸術家たちのクリエイティブマインドも元を辿れば、平安王朝美術への憧れからきたものです。
つまり日本美術の原点は平安時代の王朝文化にあることに気づきます。
魯山人の凄さは、平安時代から脈々と続く美の流れを自分に引き込んで、新しい流れを作りだしたことにあるといえます。
その根幹には「料理」と「日本美術」があります。
それが魯山人が時を経ても「いい」と言われ続けている所以だと考えています。魯山人本人の言葉で美と食についてこちらの著書で語っていますのでぜひどうぞ。