こうしてBOØWYと氷室語は受け継がれた。
今回は、氷室京介と布袋寅泰って同じバンドにいたんだってというアフターBOØWY世代に知っておいてほしい話をしていきます。
80年代から90年代初めにかけ、BOØWYのアルバムは全国の男子の間で活発に流通していました。
ライブアルバムで氷室京介が言ってる言葉も先輩、兄弟、友人の関係性を通じて口伝されていきました。
BOØWY世代たちにとって氷室京介の言葉は30年経った今でも無視できない言葉であり刺さりつづけている言葉なのです。
それでは紹介して参りましょう。
使える「氷室京介語」3選
【背景】
武道館ライブにて、『lmage down』を途中から観客に歌わせてからの氷室の言葉。
【活用例】
BOØWY世代に対しては挨拶がわりに使ってみるとよいでしょう。
きっとよろこびます。
少なくも貴方のイメージダウンにはならないはずです。
最後に夢を見ているやつに贈るぜ
【背景】
『LAST GIGS』最後の『dreamin'』のイントロ中に氷室が放った言葉です。
【活用例】
今後貴方が何か面倒な案件を抱えてしまいそうになったらこの氷室語を添えて元BOØWY世代のあの人に投げちゃってください。
いつのまにか「スペアマン」になってしまったあの人の自尊心が束の間満たされるでしょうから。
どんならやつが来てるかわかんないけど、最後の夜がお前らでよかったと思います。
【背景】
『LAST GIGS』にて、『cloudy heart』を歌い終わったあとの氷室のつぶやき。
【活用例】
この言葉は他の氷室語とは逆にBOØWY世代に言わせてあげたい。
「テレを隠して精一杯感謝の気持ちを伝える男」を演出すらことができるからです。
これから元BOØWY世代は生存できるか?
なんでそこまでBOØWY世代のために?という声が聞こえてきそうです。
ここで一つの事実をお伝えしておかなければなりません。
実はBOØWY世代は人から何かをしてもらえて当然という意識をもっています。
BOØWY世代のこどもの頃みんなが王子さまやお姫さまでした。
それは当時日本が世界一のお金持ちだったからです。
まさに「お子様」だったわけです。
そんなお子さまたちが30年経った今の日本の凋落に耐えられるでしょうか?
だからあなたのまわりのBOØWY世代は不確実な未来よりも輝いていた子どもの頃を再現して生きていきたいと思っています。
近い将来、その人口の多さと甘ったれた根性によって下の世代から疎まれる日がくることはほぼ確実なBOØWY世代。
存在価値がまだ少し残っている今のうちに、氷室語を通じて若い世代と良好な関係値を構築しておきたいものです。