東京ありがた記

東京ありがた記

Arigataki is written in Tokyo.

【孤独のグルメ】とアート好きの旅行プラン

孤独のグルメ』を見るたびに井之頭五郎さんに共感します。

時間や社会に囚われず、 幸福に空腹を満たす時、つかの間、 彼は自分勝手になり 自由になる。
誰にも邪魔されず、気を使わず ものを食べるという 孤高の行為。
この行為こそが現代人に 平等に与えられた、 最高の癒しと言えるのである。

上の引用文は【孤独のグルメ】の冒頭ナレーションのセリフです。

「空腹」「食べる」という言葉をそれぞれ「心」「観る」に変えたのがアート好きの私の場合です。

ランチだったりアートだったりとにかく最高の癒しを五郎さんも私も持っていることに共感したのです。

 

 

敢えて旅行の醍醐味を捨てた結果

東京を離れて旅行をする時、私の場合目的地のアート施設と地酒しか眼中にありません。

いわゆるグルメ、スパ、ショッピングなどの王道パターンを軽視するようになってしまったのは、私がそれを求めていないからです。

言い方を変えるとアートと酒さけ良ければ私の旅は満足するのです。

つまり幾度の旅から自分のニーズをはっきりと自覚したわけです。

これからの旅行は余計なことに時間とお金を使わずに自分が心から求めていることに集中できます。

例えばある年の初夏の頃、八ヶ岳の方まで旅行に行ったことがあます。

数時間乗った電車を下車すると遥か向こうに氷山のような山脈が見えました。

ここから目的地の清春芸術村まで歩きます。

一時間もかからない距離です。途中にアフリカンアートミュージアムもあります。

東京でもなかなかお目にかかれないレアなアートが鑑賞できます。

帰りに絶対よることにします。

清原芸術村は広い敷地の中に安藤忠雄氏設計の教会や、白樺派の美術館、エッフェル塔の一部などが点在しています。

広い村内でずっと稼働している芝刈りロボットが印象的でした。

アート好きな人なら一日中いられるでしょう。

アートの次はお酒です。

ひとやま超えた向こうに酒蔵があるというので再び歩いて向かいました。

1時間以上の道のりでしたが訪れてみて正解でした。

有名な酒蔵の場合、たいていお試しの利き酒ができます。

さらに敷地の井戸から渾々と湧き出す仕込み水もたっぷりいただけたりします。

このことは私の旅のナレッジとして旅行のたびに各地で楽しんでいます。

こうして私は最高に満ち足りた一日を過ごすことがでしました。

なおその日の食事はランチは朝から自宅でこしらえてきたおにぎり2つ。

夜は数日前にスーパーの特売で買っておいたカップラーメンでした。

別に節約しようと思ったわけではありません。

私の求めているものが得られた以上そこに何かをonしても満足度にそう変わりはありません。

 

私が「いい旅行者」になれない理由

一泊二日の旅行でした。

翌日も朝から美術館を目指します。

一駅だけ電車に乗ってあとはいつも通り歩きます。

1時間ほど歩いた先の森林の中。ステキに佇む美術館に辿り着きます。
その日私は開館と同時に美術館内へ。

展示会場に客は私ただ一人。

おかげさまでじっくりアートを堪能できていました。

それから1時間ほど経った頃、突然それまでの静寂が破られました。

どうやら団体さんたちが到着したようです。ざっと見たところその数20名ほど。

団体さんたちの物音がどんどん近づいてくる気配が感じられます。

そして団体さんたちが現れたかと思うと横断歩道ですれ違う人達のように過ぎ去っていってしまいました。

到着から10分後にはもう展覧会を見終え、グッズコーナーでショッピングを楽しむと、次の「チェックポイント」へ向かっていったのでした。

わずか30分足らずの間の出来事でした。

そして私はといえば、その後もさらに2時間程滞在。

大いに満足した私は美術館スタッフにその旨を告げてようやく美術館を後にしたのでした。

人生いろいろ。

旅行の楽しみ方もいろいろあります。

私も団体さんも旅行を楽しんだことに違いはありません。

ここでひとつの問いかけをしてみます。

では立場を美術館側に変えて考えてみたいことがあります。

今回の美術館での出来事の場合、私と団体さんとではどちらが「いい客」だったのでしょうか?

私は団体さんの方だと考えます。

なぜなら美術館にとっての「いい客」とはズバリ「金を落とす客」だからです。

当たり前ですが美術館の運営にもコストがかかっています。

金がいるのです。

それなのに私なんて観覧料以外、実はビタ一文も払ってません。

併設のカフェもおグッズコーナーもただ見ただけで何一つ買ってません。

そんな調子で3時間以上も居座っちゃってるわけです。

それに比べて団体さんたちは観覧料の他にお土産を爆買いしてます。

わずか30分の間におそらく数万円が動いたはずです。

美術館運営もまたビジネスの文脈から外れるわけにはいきません。

ましてや私設の美術館ならなおさらでしょう。

団体さんなら人数×購入する個数×グッズ単価でかなりまとまった売り上げが立ちます。

しかも団体さんはスケジュール優先のため基本的に長居することはありません。

これはかなり回転率がいいことを意味します。

ラーメンを食べてすぐ帰る客ほど「いい客」であるのと同じ理由です。

 

よ〜く考えよう、お金と時間は大事だよ

とはいえは私たちには私たちの旅を楽しむ権利があります。

そしてこのら先も私たちは旅行にでかけていくはずです。

大切な時間とお金を使うのですから、自分の心が満たされることを最優先にするべきでしょう。

でも自分の心を満たすものが何なのかわからなかったり無関心だったりするとせっかく旅行が知らぬ間に他人の都合が優先されていたりします。

ちなみに私の二日目の食事は現地のコンビニで買ったバナナと食パンでした。

これは私がもはや旅行といえばご当地グルメといった縛りから解脱し本当に自分が求めていることだけを追求した結果です。

最高のアート体験と地酒さえ手に入れてしまえば心の栄養が充分満たされることを経験した結果なのです。

美術展の混雑回避ナビ

都内の大型美術展といえば、

・長い行列に長時間並ぶものだ。

・混雑しているほどいい展覧会だ。

・作品は群衆の頭越しに鑑賞する。

これらの思い込みが、デフォルト設定されている人は、どうぞこの先をお読み下さい。

 

文句を言う前にググるのが先
行列に並んでいる中でよく「なんでこんなに混んでいるんだっ!」とイラついている人もいたりしますが、
その人もまた人ゴミの立派な構成員だったりします。
本来、事前に情報を知っていさえすれば、何も問題なく回避できたことです。それなのに、丸腰状態でノコノコ出てきてしまった自分自身のミスジャッジを顧みようとしない。不愉快なことは、世間や他人のせいにし続ける人生が、これからも積み重なっていくだけです。

今の日本だったらみんながインターネットのアクセスできるのだから情報格差とかほんとはないはずです。
結果を左右するのは、まず情報得ようとしするか、しないか。次にその情報を活かすか、殺すかという「判断と行動の格差」でしかないと思います。

 

美術展の混雑原因をさぐる

〈観客動員数を成否の評価指標にしている〉

伝統的に日本の美術展は、大手新聞社やテレビ局などのマスメディアが仕切ってきました。
そして、マスメディアと美術館のメイン顧客は、日本で一番時間と金と人口を有する、アクティブシニア層であることが共通しています。
新聞社が紙面で、テレビ局が番組で展覧会の告知すればするほど、アクティブシニア層の動員が増え続け、会期終了間近になると、
さらに駆け込み組も参戦してくるので、動員数が積み上がるという図式です。

 

〈作品鑑賞様式のパッケージ化が進む〉

当たり前ですが、作品鑑賞に決まったルールはありません。
それなのになぜか、教科書のように最初から最後まで、順番通りに見ていくというコンセンサスがあるかのように、
殆どの美術展では、会場に入ってすぐ、
主催者のあいさつ文パネルのところで、いきなり渋滞していることが多いです。
さらに最近は「イヤホンガイド」という鑑賞ツールが、混雑に拍車をかけていると思います。

 

残念な美術展観賞にしないために

読んだり聞いたりすることには熱心ですが、肝心の観ることをおざなりにしていませんか?
それはとってもったいないことだと認識するべきです。
はっきりいって、解説なんてあとからいくらでも補足できます。
しかし本物は違います。
特に名品ともなれば、その場でしか感じることができないオーラを発しています。
それを感じることこそ展覧会の醍醐味だと思っています。
音声や文章に気を取られている場合ではありません。
そんなのはまるで、美味しそうな料理を目の前に出されているのに説明だけ聞いて満足しているようなものです。

 

スマートな鑑賞者の必需品

作品をじっくり鑑賞するなら、単眼鏡は絶対オススメ。
絵画でも工芸でも肉眼で見たときとは桁違いの没入感が味わえます。
4倍〜8倍までありますが、わたし4倍で十分満足しています。
高倍率モデルに比べて視界が明るいし、
ボディもちょうどいいコンパクトさで気に入っています。