小津映画が大好きな、ありがた記管理人(氷河期世代)です。
「今を生きる氷河期世代のための小津映画鑑賞法シリーズ」のお時間です。
本シリーズは、もう後のない氷河期世代の生存戦略を探っていくことを目的にしています。
これまでの回では、悪い例、良い例を過去の名作から紹介してきました。
でも、ふとこんなことを思う人もいるのではないでしょうか。
「で、小津安二郎本人はどうなのよ?」
うなぎと小津安二郎
昭和の映画界の片隅で起こったとされるぼれ話をひとつ。
ある日、当時の銀幕のスター宅に小津安二郎が訪れていました。
昼時になるとスターの奥さんは近所のうなぎ屋までうなぎを食べにいこうと提案します
小津安二郎が無類のうなぎ好きだということは有名だったからです。
ところが彼ははこの提案をバッサリと切って捨てます。
そのへんのうなぎじゃダメだ
うなぎは当時も今も贅沢なものに変わりがありません。
しかもいくら近所だからといって、スターが住まうエリアに店を構えるうなぎ屋です。しかも小津安二郎を接待するわけですから、いくらなんでもそのへんのうなぎではないはずです。
スターの奥さんもぶったまげたことでしょう。
これだけきくと、幼児性を丸出しにして女性を苦しめるという、小津安二郎本人が映画の中で描いた日本の男の姿そのものです。
しかし幼児性がそうさせたのではないことは次の名言から伺い知れます。
贅沢はするものだ、心を満たすから。その場所にいく、その人に会う、そのすべてが食事に含まれる
小津安二郎はずいぶん若い時からハリウッド映画に夢中になっていたそうです。
きっとハリウッド映画は小津安二郎にとって贅沢で心を満たしたのでしょう。「そのへんの映画」じゃダメだったんです。
ところで氷河期世代民は他の世代と比べてセコいことで知られています(?)
「贅沢は敵だ」という大昔のプロパガンダを今だに信望そている人もいるとかいないとか。
つまり贅沢と無駄遣いの違いがよくわかってないのだと思います。
ただでさえ幼児性という無邪気な狂気で他人を苦しめてきた日本の男たちです。
それに加えてケチでセコくてもうどうしょもない氷河期世代の私たちはどうしたらいいのでしょう。
そのための小津安二郎の言葉です。
生き残りを賭けた私たちが問うべきことはただひとつ。
「私の心を満たすものは何か?」
その問いに答えられて初めてなケチでセコイ自分から脱却できるはずです。
きっと私たちにも、うなぎや映画に変わる、心を満たすサムシングがあるはずです。
最後に空欄問題として出題しておきますので、各自取り組んでみてくださいよ。
【問題1】次の設問の空欄を埋めよ。
贅沢はするものだ
心を満たすから
その場所にいく
その人に会う
そのすべてが_____に含まれる