近所に馴染みの古美術店がある。
ご主人が選んだ美しき品々がひとつづつ丁寧に置かれている小粋なお店だ。
そしてこのお店は通りすがりの外国人が実によくふらっと訪れてくる。
その理由は店の外に貼ってある一枚のポートレイトに吸い寄せられているのだ。いったい誰のポートレイトかというとそれは昭和時代の映画監督、小津安二郎だ。
小津安二郎が映画に反映させたもの
映画はいつの時代も当時の価値観が色濃く反映されている。
いわゆる小津調が確立した戦後の作品のストーリーは年頃の娘の嫁入り話がほとんどだ。
身近なおじさんおばさんたちがよってたかって他人の娘の縁談に介入してくるという戦後の価値観が全面に出ている。
当時は戦後5年ほどたったばかり。ようやく平和が安定してきた頃だろう。
平和に対する価値は当時の人たちと私たちとではまったく違う。戦時中ずっと死が近くにあった環境に生きた人たちにとって「縁談のお世話をやく」ことは、やっと平和になったことを実感できることだったのかもしれない。
それが当時の観客たちが良いと思ったポイントだったかもしれない。
しかし現代の我々からしてみるとそのポイントは別のところに移っている。
例えば私の場合、あの古き良き時代の風景、俳優陣の衣装やことば使いなどから伺える文化と変貌ぶり、つまり当時と現代の「ギャップ萌え」を楽しんでいる。
これはほとんど日本のことを知らない外国人の視点にも似た感覚だと思う。
だとしたらその外国人も案外我々と同じ視点で映画を楽しんでいるのかもしれない。
小津安二郎はサディスティックだったのかもしれない
もちろん小津映画の魅力はそれだけではない。
戦後の小津映画のストーリーはほとんどワンパターンで時々タイトルと内容が混同するくらい似たり寄ったりしている。しかしそのワンパターンの中に小津安二郎の様式美が表されている。
小津映画のヒロインは清く正しく美しい日本の女性たちだ。
彼女たちは明るく元気に朗らかに人生を謳歌している。
ところがある時点で彼女たちを悩ませる出来事が起こる。
ずっと笑っていた彼女たちの表情が陰り苦しむ。
その姿がまた美しい。
小津安二郎は女優に対してわりとサディスティックな人だったのではないかと思わずにいられない。
美しきものは負荷を与えることでさらに美しくなるということを知っていたのかもしれない。
まとめ
さて冒頭に紹介した古美術店。実は小津安二郎監督との縁は浅くない。
なぜなら先代のご主人は小津映画のスタッフのひとりだったからだ。
"美術工芸品考撰"がその役割で、映画に登場する器、絵画、掛け軸など美術品の提供やアドバイスを担った人物である。
現在のお店の中に入るとご主人の席の上あたりに屋号が彫られた看板がかけてある。そんなに大きくはない。
だがこれは小津監督からの贈り物なのだ。重みが違う。
最後に、小津映画を原語で鑑賞できる幸せは日本人としての特権だということをお忘れなく。