東京ありがた記

東京ありがた記

Arigataki is written in Tokyo.

たまに思い出したいご縁の話

路上を歩いている時にどこかの誰かが落としていったものを見つけると切ない気分になってしまいます。

例えばアクセサリーやキッズの小さな靴の片方だけとか、それらの元々の所有者は今頃どんな気持ちでいるんだろうなどと考えてしまいます。
私がなぜそのことを考えているのかというと、アート観賞で愛用していた単眼鏡を無くしてしまったからです。

美術館で展覧会を鑑賞した後、敷地内のベンチでひと休憩している時にどうやら置き忘れてしまったようです。

相棒が突然姿を消してしまったようで、正直落ち込みました。

じつはこれまでなん度も無くしかけたことがありました。

それでも無くすことなくついこの間まで私の元にあったわけです。

しかしこの度あっさりと無くしてしまいました。

単眼鏡は私のアート体験を高めるマストアイテムなのでなるべく早く単眼鏡を買うことにしました。

無くした単眼鏡は4年ほど愛用していました。もちろんスペックも申し分ありません。

しかし今現在の私が欲しいと思ったのは別ブランドの単眼鏡でした。

新しい単眼鏡への期待感は高まります。

 

私たちは何かきっかけがなければ同じものをずっと使い続けがちです。

たとえそれが「賞味期限切れ」を起こしていたとしてもです。

同じ時期に私はiPhoneも買い替えています。

3年くらいまえのものから最新のものににすると数年分のアップデートが一気になされるわけです。

スペックもデザインも全部含めてiPhoneの進化に驚愕しました。

物事には賞味期限があって、時にアップデートが必要なのでは?

 

このことに気づいてしまうと大変です。

アップデートせずに長いこと放置しているあれやこれが次々と思い浮かでまいります。

賞味期限切れの価値観もその一つです。

ずっと無駄な努力をしてきたがありそうです。

 

 

誰かが拾っていったとしてらその人のもとで第二の人生を送ってもらうことを願っています。

今の自分に合ったものがくる。

それは私たちと物事とのつながりについて。ご縁というとわかりやすいかもしれまさん。

 

物事は私たちの考えも及ばないところで因果関係が働いてるものです。

過去に起こったことに一喜一憂せずに、私たちに起こった出来事をいい方向に導くため自分の責任を果たすべきです。