東京ありがた記

東京ありがた記

Arigataki is written in Tokyo.

豊かな食生活を生み出す「外食離れ」大作戦

外食でいちいち気になってしまうこと。

外食をもう何年もしていない。外食を楽しめなくなった。

もう少しこまかくいうと自宅でないところで食事をすることに向いていないことに気づいてしまったのだった。

外食の場である料理店は基本的にお店のルール下のもとオペレーションがされている。

私が外食を敬遠するのには客もそのルールに従わなければならないから。

そこには主にコスト的理由と環境的理由の2つがある。

まずはじめに、料理店で出される食事を見るとすぐに私の頭の中にはコストを示す円グラフが浮かんでくる。

原価だけならそんなに高くないが、そこにお店の人件費、固定費、利益、さらに消費者が乗ってきている。

外食はうまくてあたり前。

そんな当たり前のことにこれだけのコストを払う気になれない。

次に環境的理由だが、私が感じている外食のリスクの中に座席の位置問題がある。

特に都会のお店は隣との席がめちゃくちゃ近い。

隣のテーブルが2人以上だったとすると当然会話がよく聞こえてくる。

そんな時物理的距離が近すぎるためヘッドホンをして話し声を遮断することにしているがそれでも聞こえてくることがある。

もちろん隣に誰もいないこともあるしいたとしてもひとり穏やかに過ごしている人たちもいる。

しかしいつどこで食事をするかによって外食環境が変わってしまうのだ。

私たちもお店の誰もコントロール不可能だ。私たちは安くないコストを払うのに理想的な環境で食事を楽しむことはほとんど運にかかっていると思う。

これこそ私の外食離れの大きな理由でもある。

食欲の行き先は外向き?内向き?

自宅でしかできないこともある。

例えばムケッカというブラジル北東部の郷土料理がある。

魚介類をココナッツミルクで煮込んだブラジルのカレーみたいな料理だ。

私はかつて鎌倉のカフェで初めムケッカを知った。

最近ムケッカを自宅で再現してみた。

メニューはブラジルのムケッカといつものみそ汁、そして三重産の焼酎のソーダ割を組み合わせた。

ムケッカやその他の食材にかかるコストは当然原価のみだ。そして食卓には妻と私だけ。

服も部屋着だし音楽も自分たちで選べる。普段とおりの住環境下だ。

いつのまにか私たちは外で食べるものとウチで食べるものをはっきりと区別しているように感じる。

自分で作れないものは外で、自分で作れるものはウチでという具合に。

私はその区別をなくすことにした。私の場合うまいものを食べたいというモチベーションは外食に向くより実際に作ってみる方向に向かう。

そのための材料や情報はどこでも手に入るのが現代だ。

食べたいものを理想的な環境で食べたい。そんな費用対効果の高い食生活をこれからもずっと楽しみたいと思っているのだ。

おわり