東京ありがた記

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Arigataki is written in Tokyo.

目 [mé]のパトロンになりたくて(なれないけど)/ 目 [mé]「ただの世界」@SCAI THE BATH HOUSE

事前予約枠がすぐに埋まってしまった 目 [mé]の「ただの世界」に突撃した非アートガチ勢の視点

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ぜんぶ目[mé]のせいだ。

通りすがりのアート好き、ありがた記管理人です。

現代アートチームの 目 [mé]「ただの世界」を観てきました。

私はどちらかというと事前情報なしで展覧会に突撃するタイプだったのですが、

さすがにそれだと、今回はおそらく滞在時間は5分ともたなかったことでしょう。

というか、今回は作品所有というところがポイントで、そのための説明を聞くか聞かないかでアート体験に大きな格差が生じてきます。

ところで、会場のSCAI THE BATH HOUSEは古い銭湯をリノベーションしたギャラリーです。(なぜか今回は改築工事現場のようにシートで覆われていた)

入り口にある小さな暖簾をくぐり、木枠のガラス引き戸をガラガラっと開けると、そこは銭湯時代の下駄箱なんかがそのままま残されている玄関です。

展示会場は玄関のすぐ先にあります。

元番台があったと思われる受付のそばには普段は木材でできた小上がりのようなスペースがあるのですが、今回はそこに作品所有説明専用部屋が設置されていました。

私たち来訪者はその仮設の小部屋で説明員が提示した書類を見ながら、メイン作品《Life Scaper》の説明を受けることになります。

結局一時間ほどギャラリーに滞在していましたが実は「ただの世界」はここで終わりません。

どういうことなのか説明するために、ギャラリーのリリースを引用しましょう。

作品が提示する世界の可能性は展覧会の会場を後にした日々の脳内で培養されることでより一層強化します。鑑賞者はその想像領域への能動的な参加によって、作品を体験し関係性を深めていくこととなります。

 確かに《Life Scaper》のコンセプトを知ってしまったら最後、もう二度とギャラリーに来た時と同じような心持ちで帰ることができません。

ガラスの引き戸を開けて外に出た瞬間から、《Life Scaper》が出現するかもしれないからです。

展覧会を観た人たちの中にはそのコンセプトをおもしろいといって作品を所有、つまり金を出して買う人がいると思います。

そのお値段は物凄く高いというわけではないけども、ちょっと覚悟のいるお値段でした。

買えちゃう人は単にお金を持っているというだけでなく間違いなくアートガチ勢です。

目 [mé]パトロンになってもいいと思っているはずです。(知らんけど)

嗚呼、ただの世界