東京ありがた記

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ムッシュ・ジャック・アタリ┃2020年の備忘録

\この記事の内容/

2020年4月NHKのインタビュー番組より。フランスの経済学者ムッシュ・ジャック・アタリが語ったことを備忘録的にまとめ。

┃望ましくないシナリオ

── 10年前にパンデミックを予想したムッシュは、次の言葉から話し始めた。 

「確率が低くてもそう言った声には耳を傾けるべきだし、リスクが高い時には行動を起こすべきだ。人生は短いのだから。」

Q. 世界経済への打撃はどのくらいありますか?

「1929年以降で最大の危機、2008年よりはるかに深刻だ。」

 

── 世界経済の損失はGDPで−20%に及ぶ可能性があり、それはアメリカがほとんど準備なしに危機的事態に突入していることと明らかに関係してきるという。

「各国の政府は金融、財政政策などできることはすべてやっている。がそれは結果の先延ばしにすぎない。」

── ムッシュ・アタリの言う「結果」とは、人々が集まるとことが予想される業種の損失は60%かそれ以上の影響を受けるということだ。具体的にはレストラン、ホテル、店舗、スタジアム、航空業界を挙げている。

Q. パンデミックの発生は何を意味していますか?

「今回のパンデミックが教えることは、衛生、社会の透明性、警告を世界で共有するルール作りの重要性だ。 今この危機を乗り越えることほど緊急の課題はない。次の2か月から3か月の間に私たちは世界を根底から変える壮大な社会的・政治的実験を行うことになるだろう。」

 

── もし国家がこの悲劇をコントロールできないと証明してしまったら、その場合ムッシュが心配していることは市場と民主主義という2つのメカニズムの崩壊だ。

Q.今後どんなことが起こると予想していますか?

「望ましくないシナリオを避けるには望ましくないシナリオを予想する方がよいと思う。世界的恐慌、失業、インフレ、ポピュリストによる政府の誕生、長期的暗黒時代の到来。さらに新しいテクノロジーを使って国民の監視を強める独裁主義の増加、経済、健康、民主主義への脅威もある。」

Q.望まないシナリオを引き起こす要因となるものは何が考えられますか?

「それは早く外出しすぎることだ。外出のタイミングを誤るとウィルスの第二波に遭遇して経済がさらに打撃を受ける。1918年に起きたスペイン風邪の時がそうだったように。」

── そして緊急事態は私たちの営みの大前提である民主主義に与えるインパクトも大きい。

「大衆は厳しい政策も支持することがある。安全か自由かの選択肢があれば人々は安全を選ぶ。第二次対戦時下の英国のように強い政府と民主主義が両立していたケースならそれでいい。」 

 

── 緊急事には例え民主的な指導者であっても前例のない権力手にすることがあることを踏まえてパンデミックによる差別と分断に言及する。

 

Q.例えばチャーチル首相のようなリーダーがいない場合どうなりますか?

 

「連帯のルールが破られる危険性が極めて高い。つまり自国第一主義、経済的孤立主義が高まる危険性だ。」

 

── 実際に東欧ハンガリーでは緊急事態に乗じて首相の権限が拡大。権勢を振るっている。 

 

「他の国に依存するべきではないというのは事実のひとつだが、私たちはもっとバランスのとれた連携を必要としている。」

Q.バランスのとれた連携とはどのようなものですか?

パンデミックの危機に直面した今こそ“他者のために生きる“という人間の本質に立ち返らねばならない。協力は競争よりも価値があり人類はひとつであることを理解すべきだ。」

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┃ポジティブに生きることの意味。

── インタビュー前半ではパンデミックによる「望ましくないシナリオ」を披露してみせたムッシュ・アタリ。後半では人類のサバイバルの鍵は他者のために生きる=利他主義だとして価値観の転換を提言。その理由に迫る。

Q. あなたの考える利他主義とは?利他主義によって何がもたらされるのですか?

利他主義とは最も合理的で自己中心的な行動に他ならない。例えば自分を感染のリスクにさらさないため相手の感染を完全に防ぐ必要がある。利他的であることは引いては自分の利益になる。感染の心配がなく世界の国々が栄えていれば市場も拡大して長期的にみると国益につながる。」


──利他主義とは他者の利益のために全てを犠牲にすることではなく他者を守ることは即ち自分守ることであり、家族、コミュニティ、国、人類の利益につながるというわけだ。そして転換することは経済にも求められる。


「長期的に見るとこのままでは勝利を見込めない。経済を全く新しい方向に設定し直す必要がある。戦時中の経済では、企業は自動車生産を爆弾や戦車の生産に切り替えなければならない。今回も同じように移行するべきだ。」


Q.具体的にはどの方向に設定し直し移行すべきと考えていますか?


「生きるために必要なものの生産(医療機器、病院、住宅、水、良質な食糧)を長期的に行うべきだ。これから多くの産業では大規模な転換が求められるだろう。我々が長期的視点に立ち集中するべきは、生きるために本当に必要な「命の産業」(食料、医療、教育、文化、情報、研究、イノベーション、デジタル)に重点をおく経済である。」


──歴史を見ると人類は恐怖を感じる時のみ大きく進化する。良き方向に進むためには今の状況をうまく活かすしかない。良き方向とは利他的な経済やポジディブな社会への転換だとムッシュはいう。


「私たち全員が次の世代の利益を大切にする必要がありそれが鍵となる。誰もが親、消費者、労働者、慈善家、一般市民として次世代の利益となるよう行動をとることができれば、それが希望となるだろう。」


──ムッシュはポジティブと楽観の違いをこんなふうに表現した。最後に紹介しよう。

「ポジティブな人は自らゲームに参加してうまくプレーできれば勝てるぞと考える。楽観的な人は観客としてゲームを見ながら自分のチームが勝てそうだなと考える。」おわり》

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《『G0後の世界』著者イアン・ブレマー┃インタビューまとめ》

健康第一。心と身体の「在宅あるある」ここらで整理整頓してみたよ

体調不良は在宅あるある

在宅ワークを数日もすれば初めの頃の新鮮さは消え去り、その代わりに背中とか肩の痛みがやってきました。

この先も在宅体制が続くことを考えると痛みを放置しておくのはまずいと思い、近所で鍼治療をしてもらいました。

はっきりいって施術直後は期待していた効果を感じることはありませんでした。

しかしこの時私は鍼灸師さんから肩こりのメカニズムと解消と予防のアドバイスを聞いていました。肩こりの発生源は肩甲骨まわりにあるというのです。在宅で椅子に座りっぱなしだとPCモニターに集中するあまり猫背気味になりがちです。その態勢が長く続くと背中の肩甲骨あたりの筋肉が伸びきってしまいます。その負荷が背中の痛みや肩こりの症状となって現れるというのです。そしてその改善策は驚くほどシンプルでした。左右の肩甲骨くっつけるように胸を思いっきり開くだけです。

私はその日からこのメソッドをルーティン化し、数日つづけたところ症状が改善してきた感覚がありました。それから半年以上経つ現在ではほとんど症状は出ていません。つまり予防にもなっているということです。

もしも診療所で聞いた話を聞き流し、わかりやすい結果だけを求めていたとしたら何度も何度も通院することは避けられません。あの手の診療費は高いのです。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という例え話があります。

私がラッキーだったのは診療所の人が「魚の釣り方を教える」タイプだったことでした。

「私は恵まれている」と思うのもまた、在宅あるあるです。

体調不良は身体に限ったことではありません。

在宅には在宅のストレスがあるものです。

私の場合も極端に出歩くことがなくなってしまったのでストレスの兆しがうっすらと心に浮かんできていました。

そんな時にある情報が入ってきました。

「ストレスは、自然の中にただ身を置くだけで軽減される」らしいとのこと。

出所は海外の大学だったと思います。私的にはグッドニュースだったので早速試してみることにしました。

私の住む所は周辺に寺が数多点在する寺町です。

お寺はそれぞれ広いお庭を持っていますし誰でも出入り自由ですし混雑していることはまずありません。

まさに自然に身を置くにはぴったりの環境です。私は博物館近くのお寺の境内でしばしひとりで放心していました。

丁度梅の咲く季節だったので梅の香りが漂ってくるようです。

風が吹くと木の葉のさわさわとした音が聞こえます。

心の澱みが消えていくようです。頭の中もリフレッシュされると気持ちに余裕が生まれてきました。

そうしてしみじみ実感するのでした。

「恵まれているななあ」と。

このご時世に在宅したくてもできない人たちもいるなかで私はできていて恵まれています。

近所にお寺の広いお庭があっていつでも癒されにいけて恵まれています。

在宅初期に診療所で教えてもらったアイデアのおけげでか肩こりしなくなって恵まれています。

私がこのような恩恵を受けるために何かをした覚えはありません。

私のキャリアとか年収とかと全然関係なく恩恵がもたらされました。

結局ある時点でどのコミュニティに属し、どこに住んでいて、どんな情報を持っているかということがとても重要だということがはっきりとわかりました。

 

■ 2020年4月。 花が咲き、鳥がさえずり、心地よい風を感じる今日この頃。特に今年はそのような自然の美がひときわ輝いているように感じる。

■花鳥風月を愛でようと近所のお寺で束の間過ごした。そしてラッキーなことに私はその場で素晴らしい光景を発見した。

ピキーーン

 

 ■ご覧の通り庭の手入れ用具類が片付けてあるだけに過ぎない。だがこの凛とした空気感はどうだ。まるで現代アーティストのトム・サックス氏によるknolling(整列の美)そのもの。

 

──“Always Be Knolling(常に整理整頓を心がける)”  by Tom Sachs 
 

■私は自宅に戻り、あらゆる場所のknollingに没頭した。

┃ベランダ

オリーブ、ブルーベリー、アジサイゼラニウム、野ばらなどの鉢植えを枝葉をキレイに切り揃えたあとに再配置した。

▼ベランダの鉢植俯瞰図

〈外側〉☀︎
─^─^─^─^─^─
 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯
 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯

─/──────\─
 〈部屋側〉👣

 

┃冷蔵庫

野菜や果物の残り、それに調味料などをホーローの容器に格納。するとどうだろう、我が家の冷蔵庫の中に閑静な住宅街が出現したかのようだ。

▼冷蔵庫正面図
〼───────〼
┃ ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎  ┃
┃───────┃
┃ ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎  ┃
┃ ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎  ┃
┃───────┃
┃ ⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎  ┃
〼───────〼

 

■knollingに限らず整理整頓する際には忘れてはならないポイントがある。それはモノのアドレスを決めることだ。私たちには住んでいる家があり普通そこにはアドレス(住所)がある。

■外出して帰る所は現住所だ。つまりモノの帰る場所が決まっていない住所不定だったなら毎回あちらこちらに行ってしまうだろう。そして自宅の全てのモノにアドレスがないのだとしたらとっ散らかるのは当然だ。

■必要なときにすぐに出てこない可能性が高いわけだからほとんど闇雲に探さないといけない。これは時間がもったいない。整理整頓の初めは設定期間だからそれのりに時間がかかる。でもその時間はかける価値がある。未来の時間を大幅にカットできるからだ。

■家だけでなく会社のデスクでもまったく同じことが言える。よくデスクの上を見るとその人の人間性が表されていると思うが、わたしはかつて自分のデスクを属性不明なシンプルさを目指したことがあった。

■男性なのか女性なのか?どんな仕事をしているのか?デスクを見ただけでは判断できないレベルだ。そこをクリアすると次に目指したレベルは“人がいるのかいないのかわからないデスク“だった。整理整頓の次元を超えてしまった当時の私の人間性ってどんなんだったんだろう?《おわり》

 

 

■ 2020年4月。 花が咲き、鳥がさえずり、心地よい風を感じる今日この頃。特に今年はそのような自然の美がひときわ輝いているように感じる。

■花鳥風月を愛でようと近所のお寺で束の間過ごした。そしてラッキーなことに私はその場で素晴らしい光景を発見した。

ピキーーン

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 ■ご覧の通り庭の手入れ用具類が片付けてあるだけに過ぎない。だがこの凛とした空気感はどうだ。まるで現代アーティストのトム・サックス氏によるknolling(整列の美)そのもの。

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──“Always Be Knolling(常に整理整頓を心がける)”  by Tom Sachs 

■私は自宅に戻り、あらゆる場所のknollingに没頭した。

┃ベランダ

オリーブ、ブルーベリー、アジサイゼラニウム、野ばらなどの鉢植えを枝葉をキレイに切り揃えたあとに再配置した。

▼ベランダの鉢植俯瞰図

〈外側〉☀︎
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 ◯ ◯ ◯ ◯ ◯

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 〈部屋側〉👣

 

┃冷蔵庫

野菜や果物の残り、それに調味料などをホーローの容器に格納。するとどうだろう、我が家の冷蔵庫の中に閑静な住宅街が出現したかのようだ。

▼冷蔵庫正面図
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■knollingに限らず整理整頓する際には忘れてはならないポイントがある。それはモノのアドレスを決めることだ。私たちには住んでいる家があり普通そこにはアドレス(住所)がある。

■外出して帰る所は現住所だ。つまりモノの帰る場所が決まっていない住所不定だったなら毎回あちらこちらに行ってしまうだろう。そして自宅の全てのモノにアドレスがないのだとしたらとっ散らかるのは当然だ。

■必要なときにすぐに出てこない可能性が高いわけだからほとんど闇雲に探さないといけない。これは時間がもったいない。整理整頓の初めは設定期間だからそれのりに時間がかかる。でもその時間はかける価値がある。未来の時間を大幅にカットできるからだ。

■家だけでなく会社のデスクでもまったく同じことが言える。よくデスクの上を見るとその人の人間性が表されていると思うが、わたしはかつて自分のデスクを属性不明なシンプルさを目指したことがあった。

■男性なのか女性なのか?どんな仕事をしているのか?デスクを見ただけでは判断できないレベルだ。そこをクリアすると次に目指したレベルは“人がいるのかいないのかわからないデスク“だった。整理整頓の次元を超えてしまった当時の私の人間性ってどんなんだったんだろう?《おわり》

 

 

 

『金持ち父さん』のロバート・キヨサキに憧れてド素人が不動産投資してみた結果

ロバート・キヨサキのように不動産投資したいと思ったら要注意!

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オリンピック前後に急騰する東京の不動産価格

『金持ち父さん貧乏父さん』といえば不動産投資を推奨しているイメージが強いですよね。

それはなぜかと言うとロバート・キヨサキさんの成功は不動産投資によるものだからです。

だからといってそれを鵜呑みにして投資対象を不動産一択にするのはあまりに危険です。

ロバート・キヨサキさんが成功したのは恐らく不動産投資が彼の一番得意なことだったからだと思います。

だからといって『金持ち父さん』を読んだ私たちも不動産投資が得意なのかどうかはわかりません。

むしろ他の投資の方が向いているかもしれません。

本を読むことは時に注意が必要です。

『金持ち父さん』は素晴らしい本ですが、うっかり誤読してしまうと恐ろしいリスクを背負うことになりかねません。

『金持ち父さん貧乏父さん』には資産を作るための有名なコンセプトがあります。

それは働き方を以下の4分類にしたもので キャッシュフロー・クワドラント と呼ばれています。

  • Employee(労働者)
  • Self employee(自営業者)
  • Business owner(資本家)
  • Investor(投資家)

その中でも投資家と資本家の収入は不労所得であり、その不労所得は不動産を所有することが近道だということでした。

今から5年以上前、私は新築マンションを購入しました。

『金持ち父さん』を読んで不動産投資による不労所得生活を夢見たからです。

「お金のために働かない」

「お金に働かせる」

「起業家になる」

こんな魅力的なパワーワードを浴びてその気になっていたのです。

私が実際に購入したのは都心エキチカ物件でした。

賃貸物件としての競争力はそこそこあるはずだと踏んでいました。

年間家賃収入から物件価格を差し引いた表面利回りは実に7.5%を見込んでいました。

ところが、募集を開始してもまったく反響がありません。

苦渋の決断で家賃を数万円下げてみても泣かず飛ばずの無反響。

まるで自分自身の体が切り刻まれるかのように毎月数十万円が流血していきました。

かなり深刻な状況に陥っていた当時の私にできることはただひとつ。

所有物件の掃除でした。

禅寺の僧侶のように床の雑巾掛けをしながら自分をひとり励ましつづけることしかできませんでした。

そんな厳しい状況が半年はつづいたでしょうか。

ある日曜日の朝のこと、私は近所のコーヒーショップにいました。

コーヒーを飲みながら過ごしていると突然ひとつのアイデアが天啓のようにひらめいたのです。

「今すぐ売れ!」

その日のうちに私は行動しました。

まずは物件の管理を任せていた地元の不動産屋から大手の不動産へ変えたのです。

するとどうでしょう、2週間目に内見が入ると、とんとん拍子に話が進み、1か月もしないうちに物件は売れたのです。

先方からの値引き交渉もなく私の希望価格で買っていただけたのです。

当時は2020年の東京オリンピック開催が決定した直後で誰もが不動産投資に明るい未来を抱いていました。

そんな時代のタイミングにも恵まれたのでしょう。

幸運としかいいようがありません。

そしてもう不動産投資は二度とやるまいと誓ったのもこの時でした。

もしもロバート・キヨサキが『金持ち父さん』を書かなかったとしたら、私たちはいったい誰からお金持ちになる方法を教えてもらえただろう?

『金持ち父さん』には人をその気にさせるパワーがあります。

ロバートキヨサキさんは自分の成功ストーリーを本にしたことによって、もしかしたら不動産投資よりも多くのお金を稼ぎ出しているかもしれません

世界中で本が売れまくった『金持ち父さん』には人をその気にさせるパワーがあります。

でもマネーリテラシーが未熟な人がそれに触発されて辿る道は私の実体験の通りです。

私のような実体験を伴った人が改めて『金持ち父さん貧乏父さん』を読み解いていくと、この本が不動産投資の手引き書なんかではなく、投資家マインドを教育することを目的とした教科書だということがわかってくるはずです。

ジョンレノンの魂を箱根、軽井沢、そして東京で感じた時の話

ジョンレノンの魂を日本でスパークさせたもの

ジョンレノンとオノヨーコ 夫妻は日本の色んなところに足跡を残しています。

例えば箱根や軽井沢のクラシックホテル。

今でもジョンレノン一家が滞在したお部屋には泊まれることができますし、ジョンさんがレシピを教えたというミルクティが名物になっています。

付近の古い写真館には一家のポートレイが飾ってあったりします。

この有名なリゾート地で感じられるのは家庭人としてのジョンさんの存在です。

では本業であるアーティス、ジョンレノンの魂を感じれる場所はというと東京です。

東京の湯島天神の近くに一軒の古美術店にその足跡がありました。

私がこの古美術屋を訪れた際、女将さんがジョンさんとヨーコさんのエピソードを話してくれましま。

その日は1971年1月のこと。

何の前触れもなくジョンさんとヨーコさんのふたりが突然店を訪ねてきたというのです。

当時の店主であるお父さんはジョンレノンを知らなかったそうです。

お父さんは、目についた書画について質問しては次々と買い求めるジョンさんの様子を見てこう思ったそうです。

 とんでもない目利きか、とんでもないバカ。

その時ジョンさんの買ったものを紹介しておきましょう。

白隠慧鶴 、仙崖義梵、室井其角 、松尾芭蕉、などなど

 日本美術好きなら誰もが憧れるラインナップです。

ジョンさんは特に松尾芭蕉の短冊を買えたのがうれしくてずっと抱きかかえていたといいます。

“ふるいけや かわづとびこむ みずのおと“の句だったそうですが、側にいたヨーコさんはどんな風に訳してみせたのでしょうか?

多分ジョンさんは買い求めた書画がいったい誰のものかなんて知らなかったことでしょう。

それにもかかわらず夢中になって買い求めたのはなぜなのか? 

お父さんはこう言っていたといいます。

ジョンレノンはモノを目で見る人でなくて、心で魂で見る人だから。ジョンレノンには分かるんだね。

ジョンレノンの魂は歌舞伎座で泣いた

 

お父さんはその後ジョンさんたちを歌舞伎座に連れていったそうです。

着いた頃にはすでに「隅田川」という演目が始まっていました。

お父さんとしては、これぞ歌舞伎という派手な演目を見せたかったのですが、タイミングが悪いこにとても陰気な場面に出くわしたそう。

お父さんにしてみれば当てが外れたわけです。

ところがジョンさんの方を見ると涙を止めどなく流しているのです。

側でヨーコさんはジョンさんの涙をハンカチで拭き取っています。

その姿を見てお父さんは思いました。

 ふたりの心は一心同体なんだね 

ジョンレノンは現代アーティストのオノヨーコに大きな影響を受けたことは有名な事実です。

ジョンさんはあらゆる美の本質を見抜くことを理解したお父さんは言います。

 オノヨーコがジョンレノンを培ったんだね。 

この話のおもしろいところは、お父さんはジョン・レノンオノ・ヨーコ(そしてビートルズも)を知らなかったのに書画を通じて心の交流ができてしまったことです。

それはジョン・レノンとファン、つまり、ひとり対大勢という関係性では到底不可能なコミュニケーションです。

ところが美の本質が分かるもの同士はあっという間に深い相互理解ができてしまうことを証明しています。

人と人は何でつながるのか?

自分は人と何でつながりたいのか?

その何かを私たちは選べるのです。

そんなことに思いながら聴く『ジョンの魂』はまた格別だったりするのです。

オアシスの武道館ライブはもうできないから記憶に残しておきます。

激闘! オアシス武道館ライブチケット争奪戦

ほんの数年前まではライブハウスを回っていたオアシス。

それがあっというまに世界の最重要バンドになって日本にまたやってくることになったのは沿って1998年のこと。

ライブ会場に選んだのは日本武道館

言うまでもなくビートルズ来日公演の開場です。

滞在ホテルもビートルズ同様、山王神社となりのキャピトル東急ホテルという念の入れよう。(名物のパイコー麺を食べたかも。)

当時のノエルギャラガーとリアムギャラガーにとってはほぼビートルズ聖地巡礼のノリだったのでしょうが、我々ロックキッズにとってはチケット争奪戦の闘いの始まりでした。

オアシス武道館ライブ発売当日。

私はチケットぴあの窓口に夜明け前から並んでいました。

当時チケット予約といえば事実上「チケットぴあ】一択。

ところが10時きっかりの発売と同時に完売。

行列の先頭の人でも買えなかったという異常事態でした。

もうこうなったら現場に行けば何とかなるのではないかと思った私はライブの当日、最後の望みをかけて日本武道館に赴きました。

2月の寒空の中のことでした。

私はリアムギャラガーを真似たモッズコートを着ていた記憶があります。

オアシスライブ当日、敗者復活戦に臨む

90年代当時最後の頼みと綱といえばダフ屋といわれる職業の人たちでした。

地下鉄の九段下駅から武道館入口まで連なるダフ屋勢、今回ばかりはチケットの仕入れが困難らしく「チケット買うよー」、「チケットない?」と殆ど買い方に回っていました。

私はひとりのダフ屋氏にチケットの値段を聞くとなんと 5万円 とのこと。

定価は1万円もしなかったはずですが、私としてはそれくらい出しても惜しくないというテンションでした。

ところがまだ仕入れてないので待っていろというダフ屋氏。

チケットを持つ観客は次々と我々を通り過ぎて武道館に吸い込まれていきます。

ある時でかいユニオンジャックの旗を持って前を通り過ぎた観客に向かって

「そんなの持って入れねーぞ!」

焦りを隠せず思わず毒づくダフ屋氏。

そしてとうとうライブが始まってしまいました。

しばらくしてダフ屋氏がようやく仕入れたチケットは8万円に暴騰。

私がその場で逡巡していると、近くにいた学生風情の男子が決死の覚悟で8万円のチケットを買っていきましま。

結局私はチケットを諦め武道館の外でずっとライブの音漏れを聴いていました。

オアシスのライブが終わった後の出来事

「音漏れライブ」が終わって帰ろうとすると、ある場所に人が群がっている光景を目にしました。

そう「出待ち」です。

私もせっかくなのでその群集に紛れ込むことに。

すると間も無く黒塗りの車がやってきましま。

どうやらノエルギャラガーが乗っているらしいとざわめく群衆。

私は車に駆け寄り窓の付近まで接近しました。

そして「写ルンです」でパシャっとやったかやらないかの瞬間、ボディガードの白人男に押し倒されてしまったのです。

その時の「写ルンです」はずっと現像することなく放置していたらいつのまにか無くしてしまいました。いったい何が写っていたことやら。

自宅に帰り着くと直ぐに『(What's the Story)Morning Glory?』をミニコンポにセットしました。

ついさっき武道館から漏れ聞こえてきた『Champagne Supernova』をちゃんと聴きたくなったからでした。

 
あわせて読みたい】90年代のオアシスの空気感満載

oasis『Be Here Now』がリリースされた世界の片隅で

 

【大ニュース】oasisのNEWシングル、1997年7月7日、全世界同時発売決定!!

2ndアルバム(What's the Story) Morning Glory?でロックンロールの天下を獲ったoasisご一行。

そして新作への期待が極限まで沸騰していた真っ只中に先行シングル『D' You Know What I Mean?』発売の知らせ。

oasisファンとしてはとにかく来たる7月7日は何が何でもレコ屋に駆けつけなければなりません。

なぜなら

oasisの新作を発売日当日に買った!」

という事実が何よりの誇であり最高の自慢のネタだったからに他なりません。

『Be Here Now』鑑賞の流儀

90年代末の若者たちにとって音楽雑誌は貴重な情報源でした。

当然oasisみたいな大物バンドは各紙がこぞって特集しますから私たちは例えoasisに関する記事が数行しかなかったとしても貪るように読みまくるのです。

そして3rdアルバム『Be Here Now』が発売される直前にはアルバム全曲紙上レビュー特集が組まれます。

oasisファンはこの時までに先行シングル『D' You Know What I Mean?』を聴きまくっている状態です。

そのサウンドを手がかりに、特集記事を読みながら一曲ずつイメージを膨らませていきます。

言ってみれば字面だけで音楽を聴いてるのです。

そしてついに『Be Here Now』発売日当日がやってくるのです。

ここで当時の聴きたい音楽を聴くまでの工程を振り返ってみましょう。

レコード屋に出向く

当時の私たちはレコードショップの店頭でCDを買うことが最もスタンダードでした。

私も東京御茶ノ水にあったレコード店で購入したはずです。

店頭には『Be Here Now』のポスターや店員手書きのPOPがド派手に飾ってありみんなでoasis祭りを盛り上げている雰囲気。

そして実物のCDを手に取って、赤いベスパ、プールに沈んでいるロールスロイス、そして「AUGUST 21 THURSDAY」の古時計をじっと見つめるのでした。

開封の儀

新品のCDはお菓子の箱みたいに薄いビニールに包まれていて剥がす手間がかかりますが当時はこの開封の義を当たり前のようにしていたものです。

③ミニコンポ派かCDラジカセ派か

ケースからCDを取り出してミニコンポにセット。プレイ。

キュルキュルキュルッとCDが回転し始めると聞こえてきたこの音はヘリコプターのプロペラ音のようです。

oasisは私たちを迎えに来たかと思うとその凶暴なヘリコプターに中に叩き込まれます。

そしてまるで日本の右翼の街宣車のように激烈な轟音を絶え間なく鳴らしながらラストの『All Around The World』まで強制連行されるのです。

さらにアルバムの最後にわざわざAll Around The World』の「リプライズ」が用意されていて、ビートルズみたいなおみやげつき。

もうオレたちのoasisのおもてなしがすごいのなんの。

『Be Here Now』と日本人の蜜月関係

『BE HERE NOW』で起こったoasisバブル。

しかし空前の期待値でリリースされたこのアルバムの売り上げは前作に及ばなかったそうです。

しかしそれは欧米での話。

oasisのことが大好きな日本では話が違います。

もうバカみたいに売れまくりました。

当時日本の音楽業界は活況で日本のレコード会社は金をかけて強力なマーケティングを打つことができました。

その効果が如実に出たのがきっと『Be Here Now』案件だったんでしょう。

だとしたら当時のoasisとレコード会社のいったいらどちらがすごいのやら?

それでも私はこのアルバムが好きです。

なぜなら当時のoasisの空気が丸ごとパッケージされているからです。

ロックの玉座に行儀悪く座ってるような慢心にもほどがある時期のoasisです。

そういった尊大な雰囲気が今でもアルバムの隅々から立ち込めてきます。

しかし何度も聴いているうちに分厚いサウンドに覆われてわからなかった曲の良さに気づいてくるのです。

例えば『Don't go away』

3rdアルバム中屈指の名曲だと思います。

この曲がどんな曲かを例えるなら、暴風雨のまっただ中に駆け込んだ時の小屋のような存在といえましょうか。

とにかくめちゃくちゃ安心する心の避難場所のような曲です。

そして美しい。

こんな曲もこっそり用意されているのもoasisのおもてなしということでひとつよろしくおねがいします。

 
あわせて読みたい】90年代のオアシスの空気感満載

『ディフィニトリーメイビー』から始まる金持ちオアシスの物語

ディフィニトリーメイビーが褒められて

その日の夜、車に轢かれて死んじまってても、俺は世界一ハッピーなやつだったぜ。

オアシスが1stアルバム『ディフィニトリーメイビー』を世に出したばかりの頃のノエルギャラガーの言葉です。

アルバムを聴いたあのポールマッカートニーから曲を褒められたらしいのです。

ちなみにその曲はこちら。御大の好みの傾向がわかりますね

オアシスはもともと英国マンチェスターでノエルギャラガーが曲を作って弟のリアムギャガーが歌っていたバンドです。

すぐにみんな「オアシスいいね!」となってアルバムが全世界で売れまくって、ライブの動員数も爆発的に拡大していきました。

ノエルギャラガーにいたってはポールマッカートニーとユニットを組めるほどの大出世です。

結局バンドとしては10年と持ちませんでしたが、オアシスが残したものは、これからもずっと価値を生み出していくことでしょう。

リブフォーエバーするオアシス

話はここで突然経済の話になります。

日本でもよく売れた本『21世紀の資本』を覚えていますか?

フランスの経済学者であるトマ・ピケティによって明かされた事実がこちら。

r > g

 =Return on Capital(資本収益率)=投資利回り
=Economic glowth rate(経済成長率)=賃金伸び率

つまり、「働くより投資した方が儲かるヨ」 と言っているのです。

そのことをよく噛み締めてから、もう一度ギャラガー兄弟のストーリーを思い出してみましょう。

むかしむかし英国マンチェスターの労働者だったギャラガー兄弟たちはオアシスというバンドを組みました。

リーダーのノエルギャラガーを中心にオアシスは物凄い速さで人気バンドに成長しました。

オアシスのまわりで曲を録音したり売ったりライブを運営したりする大勢の人が働いています。

はい、オアシス産業の誕生です。

その人たちはオアシスのコンテンツつくりで生計をたてていますから、バンドにもしものことがあったら大変です。

でもそのもしもはすぐにやってきてしまいました。

ギャラガー兄弟の喧嘩のせいで、オアシスはとてもあっけなく解散してしまったのです。

困ったのはオアシス産業従事者の人たちです。

どこか他に食いぶちを見つける他ありません。

一方そのころギャラガー兄弟たちは大金持ちになっていました。

オアシスがまだ元気に活動していたころにつみあげてきたコンテンツが、今では何もしなくても富を生み出す金のなる木になっていたからです。

You and I are gonna live forever

めでたしめでたし。

 

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オアシスが『モーニング・グローリー』とネブワースで起こした90年代のバズり方

90年代でいちばんバズったアルバム『モーニング・グローリー』

私はかつて英国のバンド、オアシスにどっぷりハマっていた時期がありました。

1995年のことです。

ちょうど私は『モーニング・グローリー』 が出る頃に英国に滞在していました。

当時オアシスの勢いは凄まじく英国中のティーンの話題をかっさらっていました。

今でもその雰囲気を思い出すことができます。

さらにその年はビートルズも新曲を出しています。

『フリー・アズ・ア・バード』です。

つまりこの年はオアシスとビートルズの新曲をほとんど同時に聞けたプレミアムな年で、私はタイミングよく英国に長期滞在していました。

この年の初めに日本では大災害と大事件が発生しましたが、英国では銀行が潰れたりする不穏な時代背景でした

経済的に傷付いていた英国では、ティーンの女子たちですら退廃的でした。

私が遭遇した実例をあげましょう。

  • 白昼カツアゲされること数回
  • 路上でアルコールをせびらること数回
  • 卑猥な言葉やジェスチャーをなげかけられること数回

だけどそんな彼女たちもオアシスの曲を鼻歌まじりで口ずさんでいたのを覚えています。

にくめないやつらなんです。

90年代でいちばんバズった「ネブワース・ライブ」

話は翌年の1996年に移ります。

オアシスはギネス級の動員ライブを成功させました。

ヒストリカル・ネブワース・ライブ」です。

当時私はBBCラジオによるライブの実況音源CDを入手しています。

そこではテンション爆上がりしたノエルギャラガーとドライなリアムギャラガーの掛け合いが確認できます。

これは歴史的だ!今、ここは、歴史的瞬間だぜ!

アホか、ここはただのネブワースだっつーの!

oasisが『モーニング・グローリー』を出した1995年はマイクロソフト社がWindows'95を世に出した年でもあります。

それから十数年後ツイッターがサービスを始め、アップル社がiphoneを発売しました。

そして急拡大したSNSは、いつのまにか人々のネットワーク(つながり)をがっちり押さえてしまいました。

ではSNSがない90年代のつながりってどうなっていたでしょうか?

『モーニング・グローリー』×「ネブワース・ライブ」

当時はまだ大きなレコードショップがロンドンにも東京にもたくさんありました。

タワーレコードHMVヴァージンメガストアディスクユニオンあたりにいけば目当てのCDがなんでも手に入りました。

つまり実店舗で音源を買うということがつながりの入り口だったわけです。

私が現地のレコードショップで『モーニング・グローリー』を買っているよに、あの女子たちも買うか万引きして手にしていることでしょう。

そしてもしかしたら、ネブワースのライブに行っているかもしれません。

後にノエルギャラガーはネブワースのライブの意義をこう現しています。

 インターネット誕生前の最後の盛大な人々の集会

あの時すでにSNS時代の到来を予見していて、アナログによる最後にして最高の偉業という意味でヒストリカル(歴史的)といっていたなら、ノエルギャラガーはビルゲイツよりも随分と先をいってたってことですよ。

 
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ミッシェルガンエレファントのライブに行けたのはまだ解散前だったからだよ

ミッシェルガンエレファントのライブの手順

4thアルバム『ギア・ブルーズ』を出した頃のミッシェルです。

ビジュアルはご覧の通りのインテリヤクザ風。基本的にライブでもこのスタイルを崩しません。

その人気は凄まじく、毛色の違うJ POP愛好家の間でも沸騰していました。

ライブのチケットは当然プラチナ化して入手困難を極めました。

そうなると確実にチケットを手に入れる方法はただひとつ、

公式ファンクラブ「rockin' blues」入会です。

入会特典

  • ライブチケット確保
  • プラスティック製の会員証
  • 年に数回ファンクラブ会報

ファンクラブ会報は中学生が作ったのかと思うほど粗末なシロモノでしたが、

今ではそれがネット上で当時の入会金(5,000円)くらいのプライスで出回っています。

 さてライブ当日。

たいていスタンディングのライブハウスでしたが、現場では多くの人が同じような動きをしているので初めての人でも心配無用です。

ライブ前の観客の行動パターン

  1. 物販エリアで黒Tシャツなどを購入
  2. 着替えます
  3. バーでアルコールを購入
  4. 飲みながらライブが始まるのを待ちます

ちなみにその間フロアにかかっているBGMはチバユウスケ氏の選曲によるものです。

さあ、BGMがやがて60年代のマカロニ・ウエスタン映画「荒野の1ドル銀貨」のテーマになりるとバンドのメンバーがゆっくりと登場してきます。

そして唐突にライブがスタート。

その瞬間フロアではモッシュとダイブも同時にスタート

押し合い圧し合い、前後左右だけでなく、上にも下にも人の姿が現れては消えていきます。

フロアはあっというまに異常な蒸し暑さになり呼吸がしずらくなってきます。

酸素濃度はおそらく富士山頂に近いくらい薄くなっていたはずです。

それでもライブは止まりません。

気づけば着ていた服がビリビリに破け、履いていた靴も片方どこにいったのかわかりません。

それでも生き残った人々はミッシェルのライブに大満足して家に帰り着くと、また

アルバムを聴きたくなるのでした。≫『ギア・ブルーズ』をamazonで調べる

ミッシェルガンエレファントの解散は突然だったから

もし推してるバンドあるのなら、出来るだけライブに行き続けるべきです。

なぜならバンドはある日突然解散してしまうものだからです。

好きなバンドのライブに行くチャスはたくさんあるようで実は思っているよりずっと少ないことに後になって気づきます。

例えば私が BOØWYに熱中していた中学高校生の頃にはバンドはすでに解散していた後でした

ですから数年後にアルバイト先で、『LAST GIGS』に行ったことのある少し上のお兄さんから聞いた話に興奮しました。

リアルタイムの空気を吸った人間の語る話にはプレミア感が漂います。

ご存知の通りその後BOØWYは一度たりとも再結成してませんからそのライブ体験自体がプレミアムです。

だとしたら同じように私のミッシェルガンエレファントのライブ体験の価値も爆上がりしてるかも!?

追記:2021年8月

 

90年代頃の日本のメインストリームといえば、TKファミリーでした。

とにかく世の中のTK含有量はすごかったのです。

その中で私はミッシェルガンエレファントにたどり着いてライブにまでいけたのですからラッキーでした。

しかしたどり着けなかったバンドもあったんだなとTKを逆恨みするような出来事が最近ありました。

それはロックフェスのライブ配信ナンバーガールを観てしまったからです。

もちろん90年代当時にナンバーガールの存在は知っていました。

ところがTKに行く手を阻まれて(?)聴いてこなかったんですよね。

でも数年前から活動を再開していたというのですから、ライブにも行けるということではないですか!

嗚呼、ありがたい。

ミッシェルガンエレファントよ、ありがとう

 

ミッシェルガンエレファントが解散後も圧倒的にモテ続ける理由

90年代当時からミッシェルは人気がありましたが、女子にもめちゃくちゃ人気があったことを覚えています。

つまり女子に凄くモテたバンドだったわけです。

ライブ会場でも女子の含有率がかなり高かった印象です。

ミッシェルのライブ体験記をこちらに詳しく綴っていますが、そこは健康な男子ですら生命の保障がない危険な修羅場。

そんな過酷な環境にも関わらず果敢に臨む女子たちを私は数限りなく目撃してきました。

中にはカップルもいて、たいていの場合まるでシェルターのように背後でガッチリと彼氏たちにガードしもらいながら彼女らはライブを心から楽しんでいるようでした。

さて、熱心なロックキッズの間では名の知れていたミッシェルですが、3rdアルバム『チキンゾンビーズ以降、急激にメジャーになっていきます。

女性ファンもそのタイミングで激増しているはずです。

それは当時の人気音楽番組『HEY! HEY! HEY!』に出演したことも影響しているかもしれません。

彼女たちは毎週楽しみにしている『HEY! HEY! HEY!』で初めてミッシェルを目撃しました。

そのヤクザな雰囲気がかっこよく映ったのでしょう。

そして間もなく女子の中で「ミッシェル=おしゃれ」というコンセンサスができあがりました。

このように女子たちはミッシェルをまずはファッション的に受け入れたのかもしれません。

しかし自宅や通勤通学の時に繰り返しミッシェルの曲を聴いていくうちにやがて本当にミッシェルを愛していってしまったのだと思います。

それが現在までつづくミッシェルのモテの系譜です。(ほんとかよ?)

ミッシェルガンエレファントの『チキンゾンビーズ』ほんとにあったいい話

ミッシェルは常にCD盤とアナログ盤の両方で新作を出していました。

その中でも注目すべきは『チキン・ゾンビーズ』のアナログ版のアートワークです。
赤いアメフトのヘルメットを被っているメンバー四人のバストショット。

ヘルメットにはそれぞれアルファベットが1文字ずつ書かれているのがわかります。

左から「F」「U」「C」「K」という並びでした。

当時このジャケ写がどでかい看板になって都内の駅内に掲げられいたのです。

しかしよくみるとヘルメットの文字にある微調整が施されていました。

どんなふうになっていたかというと左から、

「R」「O」「C」「K」という具合。

わかりますよね?

この対応はほんとに見事ですよ。

今から考えてもなんてロックな落とし所を思いついたものだと。

関係者各位の対応に感心せずにはいられません。

ミッシェルガンエレファントが好きなだけでオールOK

 

最後に唐突ですが、これまで私たちの世代は上の世代の価値観を踏襲してきました。

理由はただひとつ。

みんながそうしてたからに他なりません。

そして下の世代にもその価値観を踏襲せよと無言の圧をかけているような気がします。

自分と同世代を含む上の世代から今さら何を学べというのでしょうか?

オワコン世代にもはや優位性はありません。

これからの私たちが見るべき方向は常に若い世代の動向です。

若い世代とのフラットなコミュニケーションがたいせつだよっていう話です。

そしてフラットなコミュニケーションには欠かせないものといえば共通言語です。

すでに述べたようにミッシェルは90年代の世代だけでなく今の若い世代にもファンが多くいるバンドです。

つまりミッシェルが共通言語の役割を果たして世代間を突破したフラットなコミュニケーションがとれるようになるのです。

それはただミッシェルが好きという理由だけでOKなんです。

嗚呼、なんて素晴らしい。